も狭くなります。或《ある》日のこと、ちっとも釣れません。釣れないというと未熟な客はとかくにぶつぶつ船頭に向って愚痴《ぐち》をこぼすものですが、この人はそういうことを言うほどあさはかではない人でしたから、釣れなくてもいつもの通りの機嫌でその日は帰った。その翌日も日取りだったから、翌日もその人はまた吉公《きちこう》を連れて出た。ところが魚というのは、それは魚だからいさえすれば餌《えさ》があれば食いそうなものだけれども、そうも行かないもので、時によると何かを嫌って、例えば水を嫌うとか風を嫌うとか、あるいは何か不明な原因があってそれを嫌うというと、いても食わないことがあるもんです。仕方がない。二日ともさっぱり釣れない。そこで幾《いく》ら何でもちっとも釣れないので、吉公は弱りました。小潮《こじお》の時なら知らんこと、いい潮に出ているのに、二日ともちっとも釣れないというのは、客はそれほどに思わないにしたところで、船頭に取っては面白くない。それも御客が、釣も出来ていれば人間も出来ている人で、ブツリとも言わないでいてくれるのでかえって気がすくみます。どうも仕様がない。が、どうしても今日は土産《みやげ》
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