あたりを見せて、それからちょっとして本当に食うものでありまするから、竿先の動いた時に、来たナと心づきましたら、ゆっくりと手を竿尻にかけて、次のあたりを待っている。次に魚がぎゅっと締める時に、右の竿なら右の手であわせて竿を起し、自分の直《すぐ》と後ろの方へそのまま持って行くので、そうすると後ろに船頭がいますから、これが※[#「※」は「てへん+黨」、20−13]網《たま》をしゃんと持っていまして掬《すく》い取ります。大きくない魚を釣っても、そこが遊びですから竿をぐっと上げて廻して、後ろの船頭の方に遣《や》る。船頭は魚を掬って、鉤《はり》を外《はず》して、舟の丁度|真中《まんなか》の処に活間《いけま》がありますから魚を其処《そこ》へ入れる。それから船頭がまた餌《えさ》をつける。「旦那、つきました」と言うと、竿をまた元へ戻して狙ったところへ振込むという訳であります。ですから、客は上布《じょうふ》の着物を着ていても釣ることが出来ます訳で、まことに綺麗事《きれいごと》に殿様らしく遣《や》っていられる釣です。そこで茶の好きな人は玉露《ぎょくろ》など入れて、茶盆《ちゃぼん》を傍《そば》に置いて茶を飲んでいても、相手が二段引きの鯛ですから、慣れてくればしずかに茶碗を下に置いて、そうして釣っていられる。酒の好きな人は潮間《しおま》などは酒を飲みながらも釣る。多く夏の釣でありますから、泡盛《あわもり》だとか、柳蔭《やなぎかげ》などというものが喜ばれたもので、置水屋《おきみずや》ほど大きいものではありませんが上下箱《じょうげばこ》というのに茶器酒器、食器も具《そな》えられ、ちょっとした下物《さかな》、そんなものも仕込まれてあるような訳です。万事がそういう調子なのですから、真に遊びになります。しかも舟は上《じょう》だな檜《ひのき》で洗い立ててありますれば、清潔この上なしです。しかも涼しい風のすいすい流れる海上に、片苫《かたとま》を切った舟なんぞ、遠くから見ると余所目《よそめ》から見ても如何《いか》にも涼しいものです。青い空の中へ浮上《うきあが》ったように広々《ひろびろ》と潮が張っているその上に、風のつき抜ける日蔭のある一葉《いちよう》の舟が、天から落ちた大鳥《おおとり》の一枚の羽のようにふわりとしているのですから。
 それからまた、澪釣《みよづり》でない釣もあるのです。それは澪で以《もっ》てうまく食わなかったりなんかした時に、魚というものは必ず何かの蔭にいるものですから、それを釣るのです。鳥は木により、さかなはかかり、人は情《なさけ》の蔭による、なんぞという「よしこの」がありますが、かかりというのは水の中にもさもさしたものがあって、其処《そこ》に網を打つことも困難であり、釣鉤《つりばり》を入れることも困難なようなひっかかりがあるから、かかりと申します。そのかかりにはとかくに魚が寄るものであります。そのかかりの前へ出掛けて行って、そうしてかかりと擦《す》れ擦れに鉤《はり》を打込む、それがかかり前の釣といいます。澪だの平場《ひらば》だので釣れない時にかかり前に行くということは誰もすること。またわざわざかかりへ行きたがる人もある位。古い澪杙《みよぐい》、ボッカ、われ舟、ヒビがらみ、シカケを失うのを覚悟の前にして、大様《おおよう》にそれぞれの趣向で遊びます。いずれにしても大名釣《だいみょうづり》といわれるだけに、ケイズ釣は如何にも贅沢に行われたものです。
 ところで釣の味はそれでいいのですが、やはり釣は根《ね》が魚を獲《と》るということにあるものですから、余り釣れないと遊びの世界も狭くなります。或《ある》日のこと、ちっとも釣れません。釣れないというと未熟な客はとかくにぶつぶつ船頭に向って愚痴《ぐち》をこぼすものですが、この人はそういうことを言うほどあさはかではない人でしたから、釣れなくてもいつもの通りの機嫌でその日は帰った。その翌日も日取りだったから、翌日もその人はまた吉公《きちこう》を連れて出た。ところが魚というのは、それは魚だからいさえすれば餌《えさ》があれば食いそうなものだけれども、そうも行かないもので、時によると何かを嫌って、例えば水を嫌うとか風を嫌うとか、あるいは何か不明な原因があってそれを嫌うというと、いても食わないことがあるもんです。仕方がない。二日ともさっぱり釣れない。そこで幾《いく》ら何でもちっとも釣れないので、吉公は弱りました。小潮《こじお》の時なら知らんこと、いい潮に出ているのに、二日ともちっとも釣れないというのは、客はそれほどに思わないにしたところで、船頭に取っては面白くない。それも御客が、釣も出来ていれば人間も出来ている人で、ブツリとも言わないでいてくれるのでかえって気がすくみます。どうも仕様がない。が、どうしても今日は土産《みやげ》
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