合は手釣《てづり》を引いたもので、竿などを振廻《ふりまわ》して使わずとも済むような訳でした。長い釣綸《つりいと》を※[#「※」は「たけかんむり+隻」、17−8]輪《わっか》から出して、そうして二本指で中《あた》りを考えて釣る。疲れた時には舟の小縁へ持って行って錐《きり》を立てて、その錐の上に鯨《くじら》の鬚《ひげ》を据えて、その鬚に持たせた岐《また》に綸《いと》をくいこませて休む。これを「いとかけ」と申しました。後《のち》には進歩して、その鯨の鬚の上へ鈴なんぞを附けるようになり、脈鈴《みゃくすず》と申すようになりました。脈鈴は今も用いられています。しかし今では川の様子が全く異《ちが》いまして、大川の釣は全部なくなり、ケイズの脈釣《みゃくづり》なんぞというものは何方《どなた》も御承知ないようになりました。ただしその時分でも脈釣じゃそう釣れない。そうして毎日出て本所から直ぐ鼻の先の大川の永代《えいたい》の上《かみ》あたりで以《もっ》て釣っていては興も尽きるわけですから、話中の人は、川の脈釣でなく海の竿釣をたのしみました。竿釣にも色々ありまして、明治の末頃はハタキなんぞという釣もありました。これは舟の上に立っていて、御台場《おだいば》に打付ける浪《なみ》の荒れ狂うような処へ鉤《はり》を抛《ほう》って入れて釣るのです。強い南風《みなみ》に吹かれながら、乱石《らんせき》にあたる浪《なみ》の白泡立《しらあわだ》つ中へ竿を振って餌《えさ》を打込むのですから、釣れることは釣れても随分労働的の釣であります。そんな釣はその時分にはなかった、御台場もなかったのである。それからまた今は導流柵《どうりゅうさく》なんぞで流して釣る流し釣もありますが、これもなかなか草臥《くたび》れる釣であります。釣はどうも魚を獲ろうとする三昧《さんまい》になりますと、上品でもなく、遊びも苦しくなるようでございます。
そんな釣は古い時分にはなくて、澪《みよ》の中《うち》だとか澪がらみで釣るのを澪釣《みよづり》と申しました。これは海の中に自《おのず》から水の流れる筋《すじ》がありますから、その筋をたよって舟を潮《しお》なりにちゃんと止《と》めまして、お客は将監《しょうげん》――つまり舟の頭《かしら》の方からの第一の室《ま》――に向うを向いてしゃんと坐って、そうして釣竿を右と左と八《はち》の字のように振込《ふりこ》
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