ども美しい方へかけては最も進歩した二色もの、花弁の表裏が色を異にする蜀紅などの古いものからしてが、そも/\菊の有《も》つ本性の美とは少し異つた方面へ発達したもののやうに思へる。これも老人の感情か知らぬ。陶淵明は菊を愛したので知れた古い人だが、淵明の愛した菊は何様《どのよう》な菊だつたか不明である。云伝へでは後の大笑菊といふのであるとされてゐるが、それならばむしろ其花はさして立派でもない小さな菊である。あの風流の人が営々として花作の爺さんのやうに齷齪《あくせく》したらうとも思はれないから、自然づくり、お手数かけずのヒョロケ菊かモジャモジャ菊かバサケ菊で、それのおのづからに破れ籬《まがき》かなんかに倚《よ》りかゝり咲きに星光日精の美をあらはしたのを賞美したことだらうと想はれて、宋の詩人の笵石湖のやうに園芸美の満足を求めた菊つくりではなかつたらうと想はれるが、これは果たして当つていゐるか何様か知れない。
 菊をたべるといふことになると聊《いささ》か野蛮で小愧《こはず》かしいやうな気もせぬではないが、お前死んでも寺へはやらぬ焼いて粉にして酒で飲むといふ戯れ唄の調子とも違ひはするが、愛のはてが萎
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