」は二の字点、第3水準1−2−22、202−6]の談を知つても居れば、また心ある者は土地の人に尋ねて種※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、202−7]詮索もする。して見れば彼の講談と云ふ物も全く事実の無い事では無いのであるが、若し此処に本当の風俗家が居て、所※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、202−8]を廻つて今の中に侠客や博徒の歴史を尋ねて歩行《ある》いたならば、余程宜しい材料が得られる事であらうと思ふ。之を要するに、若し徳川の文学や小説から侠客と仇討を除いたならば、其の余は極めて索寞たるものであらうと思はれる。
夫れから支那に侠客が在つたかの問題になると、之は何とも言ひ兼ねる。然し太史公の書いたものもあれば、又其の後のものにも劒侠などいふ者が出没して居るが、支那の劒侠は日本のに比すればどうも神仙的、且つは超世的で、其上之と云つた思想上の社会的の関係が薄い、系統がたしかで無い。然るに日本のは義勇任侠などの血脈が終始一貫して居る。武士に武士道の存するが如く、侠客には侠客道が儼然として居る。之は確かに日本人の間に生じた一特質として、他国に類の無い者と云つて宜しから
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