しても、表面だけは決して前者のやうな殺伐な振舞が無い、極めて穏かである。たゞ其の全精神は責任の完了、義務の負担を敢てして一歩も後へ退かぬといふことにある。国定忠次、飯岡助五郎、清水次郎長抔は前者の鷙悍なるものであるが、相政などになると後者の雄なるもので、自然其のやり口も形も違つて居る。然し第一流に居る者は大抵穏やかな、思慮も大きくて落着きのある人間で持つて居る。次郎長の如きは、賭場を或所で開く、勝つた人が大金を持つて帰ると途中に危険が多い、夫れを次郎長が心配して少しも危険の無いやうに子分の勇者をして之を護らしめ、行き届いて客人に色※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、200−6]な世話をしたので、益※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、200−6]侠名が隆※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、200−6]と揚つたといふことである。又た後者になると、そんな華※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、200−7]しい処が無いが、矢張り大勢の子分に親分と立てられるには夫れ相応の力量人格がなければならぬ。紺屋町の相政などは其方で名を為した。又た極く近いところの石定(人入れといふではないが)なども却※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、200−9]《なか/\》名高く、彼は数年前に死んだが、之れなどは先づ侠客の打止めであらう。侠客も一度講釈師の手に懸ると、何でも火花を散らして戦つてばかりゐるやうになるが、皆が皆さうと云ふ事は無い。互に時勢の差、境遇の差に連れ得意の方面の其の特長を発揮して居るものゝ、其中に大をなして居る者は必ず張良、陳平の徒が多く、水火を踏んで辞せず、剣戟の林に入つて退かざる者は、寧ろ第三流第四流に居る処の樊※[#「※」は「くちへん」+「會」、読みは「カイ」、第3水準1−15−25、200−13]、鯨布の徒である。之によつて見ても、若し侠客の本領は此の殺伐の点にのみ存する様に見るならば夫れは大なる間違ひである。たとへば石定などは釣が非常に好きで能く片舟忘機の楽を取つたものだが、船頭等にさへ其の物やさしい、察しのよい呼吸が如何にも穏かなのをなつかしがられた程であつた。然し当人は東京の盛り場を大抵其の縄張り地内として、その勢力の大したものなるは、其の葬の日に歌舞伎座を使用したに照してもわかる。
 其処で今日になると、制度も社会状態
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