も著しい変化を来して、昔の様に山上で賭博を公開する様なことは出来なくなり、各地共博奕は衰退の気運に向つて、先に公開的であつたものは今は奥座敷的になつてゐる。之れは一つは警察制度と関係をして居る。即ち昔の博徒の或者などは、一方で公儀の御用殊に警察の用を足して居て、夫れが引続いて明治に至つた。然るに近来は警察の方針が全く違つて来て、あゝ云ふ性質の者はどし/\圧迫して止まぬから、侠客は益※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、201−6]窮境に居るが、自分は斯《こん》なに苦める結果は何様変形するかと危み思ふ。夫れは余談であるが、先づ大名や武士が無くなつて人入れの必要も無くなつて、其の方面の侠客は亡せ、賭博の公開が出来ぬやうになつて、在来の姿で往くことは出来ぬので博徒の巨豪は尽きて了つた。然し講釈師が之を唯一の材料として、国民少くとも市井の人※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、201−10]の元気精神を鼓舞することは暫く止むまい。又た事実に於ても此侠客気質の幾部分は、形骸を土木の労働者、鉱山の人夫などに止《とゞ》めて暫らくは存在しやう。彼等の間には彼等土木業者鉱夫の如きものの間にすら通有な、礼儀があり契約があり、若し之に背けば厳重な制裁を蒙る。まして真の侠客肌の親分子分の情誼などは実に篤いもので、又意気相許した親分の為とあらば如何なる事にも身を投ずることを辞せぬ。二十年も前であつたらう、桃川燕林が上野広小路の吹ぬきといふ寄席で次郎長の伝を演じた。すると毎日のやうに其の高座の前に、一見恐ろしい容貌をした男が六七人来て聞いて居る。怪んで之を質して見ると、夫れは次郎長の子分共で、若し少しでも間違つた事を云つたなら、直ぐ高座へ躍り上つて燕林を責め糺す気であつたらしいが、燕林の調査が行届いて居て余り間違ひの無いのに感服して帰つて行つたといふ事があつた位である。
 尤も関東ばかりが侠客が跋扈したと云ふでは無い、京大阪にも侠客はある。又た所謂たゞの博徒の種類で侠客と称するには足らぬか知らぬが、十年も前には女の親分さへ山形にあつた位で、福島以北にも可なりの博徒はあつたらしいが、何を云つても関東が一番盛んであつた。今日講談師が地方を廻ると、やゝもすれば其土地の古侠客の話を望まれる。若し有名の親分の話を知らぬ者ならば直ぐ追出され兼ねもしない。所で講談師も商売柄、能く種※[#「※
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