夫れと共に山の上には山の神を祭つた祠がある、此の山の神の祭日は即ち大賭場の開かれる日で、此日は地方近在の博徒の親分子分が皆な集まる許りで無い、素人即ち所謂「客人」が大金を馬につけて運んで来て、賭博を茲に試みるのを楽しみにして居た。つまり中世乱離の頃は戦争と博奕といふものが密接な関係を有して居たのが、末代太平の世には山の祭と云ふものと博奕とが大きな関係を持つやうになつた。又山は上代にあつては所謂|※[#「※」は「おんなへん」+「羽(上部)」+「隹(下部)」、読みは「チョウ」、第3水準1−15−93、199−1]歌《かゞひ》や歌垣で、若い男女の縁結《えんむすび》の役目を勤めて居たものだが、末代になつては博徒のために男を磨く戦場の役目を務めて居る。斯《かく》て博奕を為すに適当な便宜のある山は極めて繁昌し、駅場も大きくなつた。夫れで若し山霊をして、当時其の山に開帳された大博奕の光景や各親分の性行を語らしめたならば、講釈師が張扇で叩き出すやうな作り話では無く、本当の面白い侠客伝が何程出来ることであらう。従つて今日存在して居る山の上に在る大きな町で、別に貨物集散の中枢となつた訳でも無く、又別に風景の勝れた為でも無く、神霊灼乎たるわけでもなくて猶ほ盛んなものがあつたならば、夫は大抵博奕の為に出来た町と想像が付く。甲州然り、武州然り、筑波、日光然り。夫れが今日は避暑や逍遥の地になつて居ると云ふも、又た時勢の変遷面白いものではない乎。
 斯《かう》して到る処に博奕が盛んになり博徒が多くなると、自然他所他国の親分達の面を合せる場合も多いから、互に敵愾心も起らう、自負心も負けじ魂も湧かう、勢ひ親分でも子分でも互に人間を磨き、他の組には笑はれまいといふ、無言の中に一致した愛党心も出来る。つまりが互に一種の面目を重んじて、一種の男らしい精神を発揮して来る。所在の子分が亦其の風を聞いて、千里を遠しとせずして有名な親分の下に奔せ集まると云つた姿である。博奕其のものの善悪は論外として、其の親分なるものの性格には洵に※[#「※」は「しんにょう」+「台」、読みは「およ−ぶ」、第3水準1−92−53、199−15]《およ》び難い美点があつた。講釈師の捉へた侠客は即ち之れである、此の呼吸を張扇で叩き出して、聴客をして血湧き骨躍らしむるものである。之と違つて、人入れを専門とする者は、多少前者と関聯して居るに
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