《しばかりがま》の柄《え》の小長い奴を右手に持ったり左手に持ったりしながら、だんだんと川上へ登り詰めた。
やがて前《さき》の日叔父の言《ことば》を聞いて引返したところへかかると、源三の歩みはまた遅くなった。しかし今度は、前の日自分が腰掛けた岩としばらく隠れた大《おおき》な岩とをやや久《ひさ》しく見ていたが、そのあげくに突然と声張り上げて、ちとおかしな調子で、「我は官軍、我が敵は」と叫《さけ》び出して山手へと進んだ。山鳴り谷答えて、いずくにか潜《ひそ》んでいる悪魔《あくま》でも唱い返したように、「我は官軍我敵は」という歌の声は、笛吹川の水音にも紛《まぎ》れずに聞えた。
それから源三はいよいよ分り難《にく》い山また山の中に入って行ったが、さすがは山里で人となっただけにどうやらこうやら「勘」を付けて上って、とうとう雁坂峠の絶頂へ出て、そして遥《はるか》に遠く武蔵一国が我が脚下《あしもと》に開けているのを見ながら、蓬々《ほうほう》と吹く天《そら》の風が頬被《ほおかぶ》りした手拭に当るのを味った時は、躍《おど》り上《あが》り躍り上って悦んだ。しかしまた振り返って自分等が住んでいた甲斐の国の笛
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