かじっていたので、何でも彼嶺《あれ》さえ越せばと思って、前の月のある朝|酷《ひど》く折檻《せっかん》されたあげくに、ただ一人思い切って上りかけたのであった。けれどもそこは小児《こども》の思慮《かんがえ》も足らなければ意地も弱いので、食物を用意しなかったため絶頂までの半分も行かぬ中《うち》に腹は減《へ》って来る気は萎《な》えて来る、路はもとより人跡《じんせき》絶えているところを大概《おおよそ》の「勘《かん》」で歩くのであるから、忍耐《がまん》に忍耐《がまん》しきれなくなって怖《こわ》くもなって来れば悲しくもなって来る、とうとう眼を凹《くぼ》ませて死にそうになって家へ帰って、物置の隅《すみ》で人知れず三時間も寐《ね》てその疲労《つかれ》を癒《いや》したのであった。そこでその四五日は雁坂の山を望んでは、ああとてもあの山は越えられぬと肚《はら》の中で悲しみかえっていたが、一度その意《こころ》を起したので日数《ひかず》の立つ中《うち》にはだんだんと人の談話《はなし》や何かが耳に止まるため、次第次第に雁坂を越えるについての知識を拾い得た。そうするとまたそろそろと勇気《いきおい》が出て来て、家を出て
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