かじっていたので、何でも彼嶺《あれ》さえ越せばと思って、前の月のある朝|酷《ひど》く折檻《せっかん》されたあげくに、ただ一人思い切って上りかけたのであった。けれどもそこは小児《こども》の思慮《かんがえ》も足らなければ意地も弱いので、食物を用意しなかったため絶頂までの半分も行かぬ中《うち》に腹は減《へ》って来る気は萎《な》えて来る、路はもとより人跡《じんせき》絶えているところを大概《おおよそ》の「勘《かん》」で歩くのであるから、忍耐《がまん》に忍耐《がまん》しきれなくなって怖《こわ》くもなって来れば悲しくもなって来る、とうとう眼を凹《くぼ》ませて死にそうになって家へ帰って、物置の隅《すみ》で人知れず三時間も寐《ね》てその疲労《つかれ》を癒《いや》したのであった。そこでその四五日は雁坂の山を望んでは、ああとてもあの山は越えられぬと肚《はら》の中で悲しみかえっていたが、一度その意《こころ》を起したので日数《ひかず》の立つ中《うち》にはだんだんと人の談話《はなし》や何かが耳に止まるため、次第次第に雁坂を越えるについての知識を拾い得た。そうするとまたそろそろと勇気《いきおい》が出て来て、家を出てから一里足らずは笛吹川の川添《かわぞい》を上って、それから右手の嶺通《みねどお》りの腰をだんだんと「なぞえ」に上りきれば、そこが甲州|武州《ぶしゅう》の境で、それから東北《ひがしきた》へと走っている嶺を伝わって下って行けば、ついには一つの流《ながれ》に会う、その流に沿《そ》うて行けば大滝村《おおたきむら》、それまでは六里余り無人の地だが、それからは盲目《めくら》でも行かれる楽な道だそうだ、何でも峠《とうげ》さえ越してしまえば、と朝晩雁坂の山を望んでは、そのむこうに極楽でもあるように好ましげに見ていた。
 すると叔父は山|※[#「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1−84−76、72−5]《かせ》ぎをするものの常で二三日帰らなかったある夜の事であった。叔母の肩《かた》をば揉《も》んでいる中《うち》、夜も大分《だいぶ》に更《ふ》けて来たので、源三がつい浮《うか》りとして居睡《いねむ》ると、さあ恐ろしい煙管《きせる》の打擲《ちょうちゃく》を受けさせられた。そこでまた思い切ってその翌朝《よくあさ》、今度は団飯《むすび》もたくさんに用意する、銭《かね》も少しばかりずつ何ぞの折々に叔父に貰《も
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