る際でも、別に会話をはづませる如きことはせぬので、晩成先生はたゞ僅に、此寺が昔時《むかし》は立派な寺であつたこと、寺の庭のずつと先は渓川で、其渓の向ふは高い巌壁になつてゐること、庭の左方も山になつてゐること、寺及び門前の村家のある辺一帯は一大盆地を為してゐる事位の地勢の概略を聞き得たに過ぎ無かつたが、蔵海も和尚も、時※[#二の字点、1−2−22]風の工合でザアッといふ大雨の音が聞えると、一寸暗い顔をしては眼を見合せるのが心に留まつた。
大器氏は定められた室へ引取つた。堅い綿の夜具は与へられた。所在無さの身を直に其中に横たへて、枕許の洋燈《ランプ》の心を小さくして寝たが、何と無く寐つき兼ねた。茶の間の広いところに薄暗い洋燈、何だか銘※[#二の字点、1−2−22]の影法師が顧視《かへりみ》らるゝ様な心地のする寂しい室内の雨音の聞える中で寒素な食事を黙※[#二の字点、1−2−22]として取つた光景が眼に浮んで来て、自分が何だか今迄の自分で無い、別の世界の別の自分になつたやうな気がして、まさかに死んで別の天地に入つたのだとは思は無いが、何様《どう》も今までに覚えぬ妙な気がした。然し、何の、下
前へ
次へ
全38ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング