荒されたらしい至つて不景気な豆畠に、もう葉を失つて枯れ黒んだ豆がショボ/\と泣きさうな姿をして立つて居たりして、其の彼方《むかふ》に古ぼけた勾配の急な茅屋《かやや》が二軒三軒と飛び/\に物悲しく見えた。天《そら》は先刻《さつき》から薄暗くなつて居たが、サーッといふ稍※[#二の字点、1−2−22]寒い風が下して来たかと見る間に、楢や※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かしは》の黄色な葉が空からばらついて降つて来ると同時に、木の葉の雨ばかりでは無く、ほん物の雨もはら/\と遣つて来た。渓の上手の方を見あげると、薄白い雲がずん/\と押して来て、瞬く間に峯巒《ほうらん》を蝕《むしば》み、巌を蝕み、松を蝕み、忽ちもう対岸の高い巌壁をも絵心に蝕んで、好い景色を見せて呉れるのは好かつたが、其雲が今開いてさしかざした蝙蝠傘《かうもり》の上にまで蔽ひかぶさつたかと思ふほど低く這下つて来ると、堪らない、ザアッといふ本降りになつて、林木も声を合せて、何の事は無い此の山中に入つて来た他国者をいぢめでもするやうに襲つた。晩成先生も流石に慌て心になつて少し駆け出したが、幸ひ取付きの農家は直に間近だつたから、トッ/\/\と走り着いて、農家の常の土間へ飛び込むと、傘が触つて入口の檐《のき》の竿に横たへて懸け吊してあつた玉蜀黍の一把をバタリと落した途端に、土間の隅の臼のあたりにかゞんで居たらしい白い庭鳥が二三羽キャキャッと驚いた声を出して走り出した。
 何だナ、
と鈍い声をして、土間の左側の茶の間から首を出したのは、六十か七十か知れぬ白髪の油気の無い、火を付けたら心よく燃えさうに乱れ立つたモヤ/\頭な婆さんで、皺だらけの黄色い顔の婆さんだつた。キマリが悪くて、傘を搾《すぼ》めながら一寸会釈して、寺の在処《ありか》を尋ねた晩成先生の頭上から、じた/\水の垂れる傘のさきまでを見た婆さんは、それでも此辺には見慣れぬ金|釦《ボタン》の黒い洋服に尊敬を表《あらわ》して、何一つ咎立がましいことも云はずに、
 上へ/\と行けば、じねんにお寺の前へ出ます、此処は云はゞ門前村ですから、人家さへ出抜ければ、すぐお寺で。
 礼を云つて大器氏は其家を出た。雨は愈※[#二の字点、1−2−22]甚《ひど》くなつた。傘を拡げながら振返つて見ると、木彫のやうな顔をした婆さんはまだ此方を見てゐたが、妙に其顔が眼にしみ付いた。

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