治るといふことであつて、語り伝へた現の証拠はいくらでも有る。君の病気は東京の名医達が遊んで居たら治るといひ、君もまた遊び気分で飛んでも無い田舎などをノソ/\と歩いてゐる位だから、とてもの事に其処で遊んで見たまへ。住持と云つても木綿の法衣《ころも》に襷を掛けて芋畑麦畑で肥柄杓《こえびしやく》を振廻すやうな気の置けない奴、それと其弟子の二歳坊主が居るきりだから、日に二十銭か三十銭も出したら寺へ泊めても呉れるだらう。古びて歪んでは居るが、座敷なんぞは流石に悪くないから、そこへ陣取つて、毎日風呂を立てさせて遊んで居たら妙だらう。景色もこれといふ事は無いが、幽邃《いうすゐ》で中※[#二の字点、1−2−22]佳いところだ。といふ委細の談《はなし》を聞いて、何となく気が進んだので、考へて見る段になれば随分頓興で物好なことだが、わざ/\教へられた其寺を心当に山の中へ入り込んだのである。
路は可なりの大さの渓に沿つて上つて行くのであつた。両岸の山は或時は右が遠ざかつたり左が遠ざかつたり、又或時は右が迫つて来たり左が迫つて来たり、時に両方が迫つて来て、一水遥に遠く巨巌の下に白泡《しらあわ》を立てゝ沸り流れたりした。或場処は路が対岸に移るやうになつてゐる為に、危い略※[#「彳+勺」、155−下−16]《まるきばし》が目の眩《くるめ》くやうな急流に架つて居るのを渡つたり、又|少時《しばらく》して同じやうなのを渡り反つたりして進んだ。恐ろしい大きな高い巌が前途《ゆくて》に横たはつてゐて、あのさきへ行くのか知らんと疑はれるやうな覚束ない路を辿つて行くと、辛うじて其の岩岨《いはそば》に線《いと》のやうな道が付いて居て、是非無くも蟻の如く蟹の如くになりながら通り過ぎてはホッと息を吐くことも有つて、何だつてこんな人にも行会はぬ所謂僻地窮境に来たことかと、聊か後悔する気味にもならざるを得ないで、薄暗いほどに茂つた大樹の蔭に憩ひながら明るく無い心持の沈黙を続けてゐると、ヒーッ、頭の上から名を知らぬ禽が意味の分らぬ歌を投げ落したりした。
路が漸く緩くなると、対岸は馬鹿※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]しく高い巌壁になつて居る其下を川が流れて、此方《こちら》は山が自然に開けて、少しばかり山畠が段※[#二の字点、1−2−22]を成して見え、粟や黍が穂を垂れて居るかとおもへば、兎に
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