も無しに碩学《せきがく》の講義を聴いたり、豊富な図書館に入つたり、雑事に侵されない朝夕の時間の中に身を置いて十分に勉強することの出来るのを何よりも嬉しいことに思ひながら、所謂「勉学の佳趣」に浸り得ることを満足に感じてゐた。そして他の若い無邪気な同窓生から大器晩成先生などといふ諢名《あだな》、それは年齢の相違と年寄じみた態度とから与へられた諢名を、臆病臭い微笑でもつて甘受しつゝ、平然として独自一個の地歩を占めつゝ在学した。実際大器晩成先生の在学態度は、其の同窓間の無邪気な、言ひ換れば低級で且つ無意味な飲食の交際や、活溌な、言ひ換れば青年的勇気の漏洩に過ぎぬ運動遊戯の交際に外《はづ》れることを除けば、何人にも非難さるべきところの無い立派なものであつた。で、自然と同窓生も此人を仲間はづれにはしながらも内※[#二の字点、1−2−22]は尊敬するやうになつて、甚だしい茶目吉一二人のほかは、無言の同情を寄せるに吝《やぶさか》では無かつた。
 ところが晩成先生は、多年の勤苦が酬ひられて前途の平坦光明が望見せらるゝやうになつた気の弛《ゆる》みの為か、或は少し度の過ぎた勉学の為か何か知らぬが気の毒にも不明の病気に襲はれた。其頃は世間に神経衰弱といふ病名が甫《はじ》めて知られ出した時分であつたのだが、真に所謂神経衰弱であつたか、或は真に漫性胃病であつたか、兎に角医博士達の診断も朦朧《もうろう》で、人によつて異る不明の病に襲はれて段※[#二の字点、1−2−22]衰弱した。切詰めた予算だけしか有して居らぬことであるから、当人は人一倍|困悶《こんもん》したが、何様《どう》も病気には勝てぬことであるから、暫く学事を抛擲《はうてき》して心身の保養に力《つと》めるが宜いとの勧告に従つて、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32]気《かうき》を吸ふべく東京の塵埃を背後《うしろ》にした。
 伊豆や相模の歓楽郷兼保養地に遊ぶほどの余裕のある身分では無いから、房総海岸を最初は撰んだが、海岸は何様も騒雑の気味があるので晩成先生の心に染まなかつた。さればとて故郷の平蕪《へいぶ》の村落に病躯を持帰るのも厭はしかつたと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日或は三日五日と、それこそ白雲の風に漂ひ、秋葉の空に飄《ひるがへ》るが如くに、ぶらり/\とした身の中に、もだ/\
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