ら、黙然《もくねん》として石の地蔵のように身じろぎもしないで、雨に打たれながらポカンと立っていて、次の脈搏、次の脈搏を数えるが如き心持になりつつ、次の脈が搏《う》つ時に展開し来《きた》る事情をば全くアテもなく待つのであった。
若僧はそこらに何かしているのだろう、しばらくは消息も絶えたが、やがてガタガタいう音をさせた。雨戸を開けたに相違ない。それから少し経《たっ》て、チッチッという音がすると、パッと火が現われて、彼は一ツの建物の中の土間に踞《うずくま》っていて、マッチを擦って提灯の蝋燭《ろうそく》に火を点じようとしているのであった。四、五本のマッチを無駄にして、やっと火は点《つ》いた。荊棘《いばら》か山椒《さんしょう》の樹のようなもので引爬《ひっか》いたのであろう、雨にぬれた頬から血が出て、それが散っている、そこへ蝋燭の光の映ったさまは甚《はなは》だ不気味だった。漸く其処《そこ》へ歩み寄った晩成先生は、
怪我《けが》をしましたね、御気の毒でした。
というと、若僧は手拭《てぬぐい》を出して、此処《ここ》でしょう、といいながら顔を拭《ふ》いた。蚯蚓脹《みみずば》れの少し大きいの位で、大した事ではなかった。
急いでいるからであろう、若僧は直《すぐ》にその手拭で泥足をあらましに拭いて、提灯を持ったまま、ずんずんと上《あが》り込んだ。四畳半の茶の間には一尺二寸位の小炉《しょうろ》が切ってあって、竹の自在鍵《じざい》の煤《すす》びたのに小さな茶釜《ちゃがま》が黒光りして懸《かか》っているのが見えたかと思うと、若僧は身を屈して敬虔の態度にはなったが、直《すぐ》と区劃《しきり》になっている襖《ふすま》を明けてその次の室《ま》へ、いわば闖入《ちんにゅう》せんとした。土間からオズオズ覗《のぞ》いて見ている大噐氏の眼には、六畳敷位の部屋に厚い坐蒲団《ざぶとん》を敷いて死せるが如く枯坐《こざ》していた老僧が見えた。着色の塑像の如くで、生きているものとも思えぬ位であった。銀のような髪が五分ばかり生えて、細長い輪郭の正しい顔の七十位の痩《や》せ枯《から》びた人ではあったが、突然の闖入に対して身じろぎもせず、少しも驚く様子もなく落《おち》つき払った態度で、あたかも今まで起きてでもいた者のようであった。特《こと》に晩成先生の驚いたのは、蔵海がその老人に対して何もいわぬことであった。そしてその老僧の坐辺《ざへん》の洋燈《ランプ》を点火すると、蔵海は立返って大噐氏を上へ引《ひき》ずり上げようとした。大噐氏は慌《あわ》てて足を拭《ぬぐ》って上ると、老僧はジーッと細い眼を据えてその顔を見詰めた。晩成先生は急に挨拶の言葉も出ずに、何か知らず叮嚀《ていねい》に叩頭《おじぎ》をさせられてしまった。そして頭《かしら》を挙げた時には、蔵海は頻《しき》りに手を動かして麓《ふもと》の方の闇を指したり何かしていた。老僧は点頭《うなず》いていたが、一語をも発しない。
蔵海はいろいろに指を動かした。真言宗《しんごんしゅう》の坊主の印《いん》を結ぶのを極めて疾《はや》くするようなので、晩成先生は呆気《あっけ》に取られて眼ばかりパチクリさせていた。老僧は極めて徐《しず》かに軽く点頭《うなず》いた。すると蔵海は晩成先生に対《むか》って、
このかたは耳が全く聞えません。しかし慈悲の深い方ですから御安心なさい。ではわたくしは帰りますから。
トいって置いて、初《はじめ》の無遠慮な態度とはスッカリ違って叮嚀《ていねい》に老僧に一礼した。老僧は軽く点頭《うなず》いた。大噐氏にちょっと会釈するや否や、若僧は落付いた、しかしテキパキした態度で、かの提灯を持って土間へ下り、蓑笠《みのがさ》するや否や忽《たちま》ち戸外《そと》へ出て、物静かに戸を引寄せ、そして飛ぶが如くに行ってしまった。
大噐氏は実に稀有《けう》な思《おもい》がした。この老僧は起きていたのか眠っていたのか、夜中《やちゅう》真黒《まっくら》な中に坐禅ということをしていたのか、坐りながら眠っていたのか、眠りながら坐っていたのか、今夜だけ偶然にこういう態《てい》であったのか、始終こうなのか、と怪《あやし》み惑《まど》うた。もとより真の已達《いたつ》の境界《きょうがい》には死生の間《かん》にすら関所がなくなっている、まして覚めているということも睡《ねむ》っているということもない、坐っているということと起きているということとは一枚になっているので、比丘《びく》たる者は決して無記《むき》の睡《ねむり》に落ちるべきではないこと、仏説離睡経《ぶっせつりすいきょう》に説いてある通りだということも知っていなかった。またいくらも近い頃の人にも、死の時のほかには脇を下に着け身を横たえて臥《ふ》さぬ人のあることをも知らなかったのだから、吃驚《びっくり》したのは無理でもなかった。
老僧は晩成先生が何を思っていようとも一切無関心であった。
□□さん、サア洋燈《ランプ》を持ってあちらへ行って勝手に休まっしゃい。押入《おしいれ》の中に何かあろうから引出して纏《まと》いなさい、まだ三時過ぎ位のものであろうから。
ト老僧は奥を指さして極めて物静《ものしずか》に優しくいってくれた。大噐氏は自然に叩頭《おじぎ》をさせられて、その言葉通りになるよりほかはなかった。洋燈《ランプ》を手にしてオズオズ立上《たちあが》った。あとはまた真黒闇《まっくらやみ》になるのだが、そんな事をとかくいうことはかえって余計な失礼の事のように思えたので、そのままに坐を立って、襖《ふすま》を明けて奥へ入った。やはり其処《そこ》は六畳敷位の狭さであった。間《あい》の襖を締切《しめき》って、そこにあった小さな机の上に洋燈《ランプ》を置き、同じくそこにあった小坐蒲団《こざぶとん》の上に身を置くと、初めて安堵《あんど》して我に返ったような気がした。同時に寒さが甚《ひど》く身に染《し》みて胴顫《どうぶるい》がした。そして何だかがっかりしたが、漸《ようや》く落《おち》ついて来ると、□□さんと自分の苗字をいわれたのが甚《ひど》く気になった。若僧も告げなければ自分も名乗らなかったのであるのに、特《こと》に全くの聾《つんぼ》になっているらしいのに、どうして知っていたろうと思ったからである。しかしそれは蔵海が指頭《ゆびさき》で談《かた》り聞かせたからであろうと解釈して、先ず解釈は済ませてしまった。寝ようか、このままに老僧の真似をして暁《あかつき》に達してしまおうかと、何かあろうといってくれた押入らしいものを見ながらちょっと考えたが、気がついて時計を出して見た。時計の針は三時少し過ぎであることを示していた。三時少し過ぎているから、三時少し過ぎているのだ。驚くことは何もないのだが、大噐氏はまた驚いた。ジッと時計の文字盤を見詰めたが、遂に時計を引出して、洋燈《ランプ》の下、小机の上に置いた。秒針はチ、チ、チ、チと音を立てた。音がするのだから、音が聞えるのだ。驚くことは何もないのだが、大噐氏はまた驚いた。そして何だか知らずにハッと思った。すると戸外《そと》の雨の音はザアッと続いていた。時計の音は忽《たちま》ち消えた。眼が見ている秒針の動きは止まりはしなかった、確実な歩調で動いていた。
何となく妙な心持になって頭を動かして室内を見廻わした。洋燈《ランプ》の光がボーッと上を照らしているところに、煤《すす》びた額《がく》が掛っているのが眼に入った。間抜《まぬけ》な字体で何の語かが書いてある。一字ずつ心を留めて読んで見ると、
橋流水不流
とあった。橋流れて水流れず、橋流れて水流れず、ハテナ、橋流れて水流れず、と口の中で扱い、胸の中で咬《か》んでいると、忽《たちま》ち昼間渡った仮《かり》そめの橋が洶※[#二の字点、1−2−22]《きょうきょう》と流れる渓川《たにがわ》の上に架渡《かけわた》されていた景色が眼に浮んだ。水はどうどうと流れる、橋は心細く架渡《かけわた》されている。橋流れて水流れず。サテ何だか解らない。シーンと考え込んでいると、忽《たちま》ち誰だか知らないが、途方もない大きな声で
橋流れて水流れず
と自分の耳の側《はた》で怒鳴《どな》りつけた奴があって、ガーンとなった。
フト大噐氏は自《みずか》ら嘲《あざけ》った。ナンダこんな事、とかくこんな変な文句が額なんぞには書いてあるものだ、と放下《ほうげ》してしまって、またそこらを見ると、床《とこ》の間《ま》ではない、一方の七、八尺ばかりの広い壁になっているところに、その壁をいくらも余さない位な大きな古びた画《え》の軸《じく》がピタリと懸っている。何だか細かい線で描《か》いてある横物《よこもの》で、打見たところはモヤモヤと煙っているようなばかりだ。紅《あか》や緑や青や種※[#二の字点、1−2−22]《いろいろ》の彩色《さいしき》が使ってあるようだが、図が何だとはサッパリ読めない。多分ありがちな涅槃像《ねはんぞう》か何かだろうと思った。が、看《み》るともなしに薄い洋燈《ランプ》の光に朦朧《もうろう》としているその画面に眼を遣《や》っていると、何だか非常に綿密に楼閣だの民家だの樹だの水だの遠山だの人物だのが描《か》いてあるようなので、とうとう立上《たちあが》って近くへ行って観《み》た。するとこれは古くなって処※[#二の字点、1−2−22]《ところどころ》汚れたり損じたりしてはいるが、なかなか叮嚀《ていねい》に描《か》かれたもので、巧拙は分らぬけれども、かつて仇十州《きゅうじっしゅう》の画だとか教えられて看たことのあるものに肖《に》た画風で、何だか知らぬが大層な骨折から出来ているものであることは一目《ひとめ》に明らかであった。そこで特《ことさら》に洋燈《ランプ》を取って左の手にしてその図に近※[#二の字点、1−2−22]《ちかぢか》と臨んで、洋燈《ランプ》を動かしては光りの強いところを観ようとする部分※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]に移しながら看た。そうしなければ極めて繊細な画が古び煤けているのだから、ややもすれば看て取ることが出来なかったのである。
画は美《うる》わしい大江《たいこう》に臨んだ富麗《ふれい》の都の一部を描いたものであった。図の上半部を成している江《え》の彼方《むこう》には翠色《すいしょく》悦ぶべき遠山が見えている、その手前には丘陵が起伏している、その間に層塔《そうとう》もあれば高閤《こうこう》もあり、黒ずんだ欝樹《うつじゅ》が蔽《おお》うた岨《そば》もあれば、明るい花に埋《うず》められた谷もあって、それからずっと岸の方は平らに開けて、酒楼《しゅろう》の綺麗なのも幾戸《いくこ》かあり、士女老幼、騎馬の人、閑歩《かんぽ》の人、生計にいそしんでいる負販《ふはん》の人、種※[#二の字点、1−2−22]雑多の人※[#二の字点、1−2−22]が蟻ほどに小さく見えている。筆はただ心持で動いているだけで、勿論その委曲が画《か》けている訳ではないが、それでもおのずからに各人の姿態や心情が想い知られる。酒楼の下の岸には画舫《がほう》もある、舫中の人などは胡麻《ごま》半粒ほどであるが、やはり様子が分明に見える。大江の上には帆走《ほばし》っているやや大きい船もあれば、篠《ささ》の葉形の漁舟《ぎょしゅう》もあって、漁人の釣《つり》しているらしい様子も分る。光を移してこちらの岸を見ると、こちらの右の方には大きな宮殿|様《よう》の建物があって、玉樹※[#「王+其」、第3水準1−88−8]花《ぎょくじゅきか》とでもいいたい美しい樹や花が点綴《てんてい》してあり、殿下の庭|様《よう》のところには朱欄曲※[#二の字点、1−2−22]《しゅらんきょくきょく》と地を劃《かく》して、欄中には奇石もあれば立派な園花《えんか》もあり、人の愛観を待つさまざまの美しい禽《とり》などもいる。段※[#二の字点、1−2−22]と左へ燈光《ともしび》を移すと、大中小それぞれの民家があり、老人《としより》や若いものや、蔬菜《そさい》を荷《にな》っているものもあれば、蓋《かさ》を
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