はなかった。冷《つめた》い挽割飯《ひきわりめし》と、大根《だいこ》ッ葉《ぱ》の味噌汁と、塩辛《しおから》く煮た車輪麩《くるまぶ》と、何だか正体の分らぬ山草の塩漬《しおづけ》の香《こう》の物《もの》ときりで、膳こそは創《きず》だらけにせよ黒塗《くろぬり》の宗和膳《そうわぜん》とかいう奴で、御客あしらいではあるが、箸《はし》は黄色な下等の漆《うるし》ぬりの竹箸で、気持の悪いものであった。蔵海は世間に接触する機会の少いこの様な山中にいる若い者なので、新来の客から何らかの耳新らしい談を得たいようであるが、和尚は人に求められれば是非ないからわが有《も》っている者を吝《おし》みはしないが、人からは何をも求めまいというような態度で、別に雑話《ぞうわ》を聞きたくも聞かせたくも思っておらぬ風《ふう》で、食事が済んで後、少時《しばらく》三人が茶を喫《きっ》している際でも、別に会話をはずませる如きことはせぬので、晩成先生はただ僅《わずか》に、この寺が昔時《むかし》は立派な寺であったこと、寺の庭のずっと先は渓川《たにがわ》で、その渓の向うは高い巌壁になっていること、庭の左方も山になっていること、寺及び門前の村
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