した。
 伊豆や相模《さがみ》の歓楽郷兼保養地に遊ぶほどの余裕のある身分ではないから、房総《ぼうそう》海岸を最初は撰《えら》んだが、海岸はどうも騒雑《そうざつ》の気味があるので晩成先生の心に染《そ》まなかった。さればとて故郷の平蕪《へいぶ》の村落に病躯《びょうく》を持帰《もちかえ》るのも厭《いと》わしかったと見えて、野州《やしゅう》上州《じょうしゅう》の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲《はくうん》の風に漂い、秋葉《しゅうよう》の空に飄《ひるがえ》るが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子《けじゅす》の大洋傘《おおこうもり》に色の褪《あ》せた制服、丈夫|一点張《いってんば》りのボックスの靴という扮装《いでたち》で、五里七里歩く日もあれば、また汽車で十里二十里歩く日もある、取止《とりと》めのない漫遊の旅を続けた。
 憫《あわれ》むべし晩成先生、|嚢中自有[#レ]銭《のうちゅうおのずからせんあり》という身分ではないから、随分切詰めた懐《ふところ》でもって、物価の高くない地方、贅沢《ぜいたく》気味のない宿屋※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]を渡りあるいて、また機会や因縁《いんねん》があれば、客を愛する豪家や心置《こころおき》ない山寺なぞをも手頼《たよ》って、遂に福島県宮城県も出抜けて奥州《おうしゅう》の或|辺僻《へんぺき》の山中へ入ってしまった。先生|極《ごく》真面目な男なので、俳句なぞは薄生意気《うすなまいき》な不良老年の玩物《おもちゃ》だと思っており、小説|稗史《はいし》などを読むことは罪悪の如く考えており、徒然草《つれづれぐさ》をさえ、余り良いものじゃない、と評したというほどだから、随分退屈な旅だったろうが、それでもまだしも仕合せな事には少しばかり漢詩を作るので、それを唯一の旅中の楽《たのしみ》にして、※[#「足+禹」、第3水準1−92−38]※[#二の字点、1−2−22]然《くくぜん》として夕陽《せきよう》の山路や暁風《ぎょうふう》の草径《そうけい》をあるき廻ったのである。
 秋は早い奥州の或|山間《さんかん》、何でも南部《なんぶ》領とかで、大街道《おおかいどう》とは二日路《ふつかじ》も三日路《みっかじ》も横へ折れ込んだ途方もない僻村《へきそん》の或《ある》寺を心ざして、その男は鶴の如く
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