勉とで作り上げていたので、当人は初めて真の学生になり得たような気がして、実に清浄純粋な、いじらしい愉悦と矜持《きょうじ》とを抱いて、余念もなしに碩学《せきがく》の講義を聴いたり、豊富な図書館に入ったり、雑事に侵《おか》されない朝夕《ちょうせき》の時間の中に身を置いて十分に勉強することの出来るのを何よりも嬉《うれ》しいことに思いながら、いわゆる「勉学の佳趣《かしゅ》」に浸《ひた》り得ることを満足に感じていた。そして他の若い無邪気な同窓生から大噐晩成《たいきばんせい》先生などという諢名《あだな》、それは年齢の相違と年寄《としより》じみた態度とから与えられた諢名を、臆病臭い微笑でもって甘受しつつ、平然として独自一個の地歩を占めつつ在学した。実際大噐晩成先生の在学態度は、その同窓間の無邪気な、言い換《かえ》れば低級でかつ無意味な飲食の交際や、活溌な、言い換れば青年的勇気の漏洩《ろうえい》に過ぎぬ運動遊戯の交際に外れることを除けば、何人《なんぴと》にも非難さるべきところのない立派なものであった。で、自然と同窓生もこの人を仲間はずれにはしながらも内※[#二の字点、1−2−22]は尊敬するようになって、甚だしい茶目吉《ちゃめきち》一、二人のほかは、無言の同情を寄せるに吝《やぶさか》ではなかった。
ところが晩成先生は、多年の勤苦が酬《むく》いられて前途の平坦|光明《こうみょう》が望見《ぼうけん》せらるるようになった気の弛《ゆる》みのためか、あるいは少し度の過ぎた勉学のためか何か知らぬが気の毒にも不明の病気に襲われた。その頃は世間に神経衰弱という病名が甫《はじ》めて知られ出した時分であったのだが、真にいわゆる神経衰弱であったか、あるいは真に漫性胃病であったか、とにかく医博士《いはかせ》たちの診断も朦朧《もうろう》で、人によって異《ことな》る不明の病《やまい》に襲われて段※[#二の字点、1−2−22]衰弱した。切詰《きりつ》めた予算だけしか有しておらぬことであるから、当人は人一倍|困悶《こんもん》したが、どうも病気には勝てぬことであるから、暫《しばら》く学事を抛擲《ほうてき》して心身の保養に力《つと》めるが宜《よ》いとの勧告に従って、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32]気《こうき》を吸うべく東京の塵埃《じんあい》を背後《うしろ》に
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