命、会津四十二万石の大禄を被《かず》けられたまいし御感《ぎょかん》の御涙にばし御座《おわ》すか、と聞いて見た。自分が氏郷であれば無論嬉し涙をこぼしたことであろうからである。すると氏郷は一寸嘆息して、ア、其様なことに思われたか、我|羞《はず》かしい、と云ったが、一段と声を落して殆んど独語のように、然様《そう》では無い山崎、我たとい微禄小身なりとも都近くにあらば、何ぞの折には如何ようなる働きをも為し得て、旗を天下に吹靡《ふきなび》かすことも成ろうに、大禄を今受けたりとは申せ、山川遥に隔たりて、王城を霞の日に出でても秋の風に袂《たもと》を吹かるる、白川の関の奥なる奥州出羽の辺鄙《ひな》に在りては、日頃の本望も遂げむことは難く、我が鎗《やり》も太刀も草叢《くさむら》に埋もるるばかり、それが無念さの不覚《そぞろ》の涙じゃ哩《わ》、今日より後は奥羽の押え、贈太政大臣信長の婿たる此の忠三郎がよし無き田舎武士《いなかざむらい》の我武者《がむしゃ》共をも、事と品によりては相手にせねばならぬ、おもしろからぬ運命《はめ》に立至ったが忌々《いまいま》しい、と胸中の欝《うつ》をしめやかに洩《も》らした。無論家勝
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