就ては、大沼、河沼、稲川、耶摩《やま》、猪苗代《いなわしろ》、南の山以上六郡、越後の内で小川の庄、仙道には白河、石川、岩瀬、安積《あさか》、安達、二本松以上六郡、都合十二郡一庄で、四十二万石に封ぜられたのだ。十八万石程から一足飛に四十二万石の大封を賜わったのだから、たとい大役を引受けさせられたとは云え、奥州出羽の押えという名誉を背負い、目覚ましい加禄《かろく》を得たので、家臣連の悦《よろこ》んだろうことは察するに余りある。これは八月十七日の事と云われている。
丁度仲秋の十六夜の後一日である。秋は早い奥州の会津の城内、氏郷は独り書院の柱に倚《よ》って物を思って居た。天は高く晴れ渡って碧落《へきらく》に雲無く、露けき庭の面の樹も草もしっとりとして、おもむきの有る夜の静かさに虫の声々すずしく、水にも石にも月の光りが清く流れて白く、風流に心あるものの幽懐も動く可き折柄の光景だった。北越の猛将上杉謙信が「数行[#(ノ)]過雁月三更」と能登の国を切従えた時吟じたのも、霜は陣営に満ちて秋気清き丁度|斯様《こう》いう夜であった。三国の代の英雄の曹孟徳が、百万の大軍を率いて呉の国を呑滅《どんめつ》しよ
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