働く武士があるが、其武士に愧《は》じぬように心掛けて働きさえすればそれでよい、と云ったという。勿論これは未だ小身であった時の事で有ろうが、訓諭も糸瓜《へちま》も入ったものではない、人を使うのはこれで無ければ嘘だ。碌《ろく》な店も工場も持って居ぬ奴が小やかましい説教沙汰ばかりを店員や職工に下して、おのれは坐蒲団《ざぶとん》の上で煙草をふかしながら好い事を仕たがる如き蝨《しらみ》ッたかりとは丸で段が違う。言うまでも無く銀の鯰の兜を被って働く者は氏郷なのである。斯様いう人だったから四位の少将、十八万石の大名となってからも、小田原陣の時は驚くべき危険に身を暴露して手厳しい戦をして居る。それは氏郷の方から好んで為出したことではないが、他の大将ならば或は遁逃《とんとう》的態度に出て、そして敵をして其企図を多少なりとも成就するの利を得、味方をして損害を被《こうむ》るの勢を成さしめたであろうに、氏郷が勇敢に職責を厳守したので、敵は何の功をも立てることが出来なかった。これは五月三日の夜の事で、城中に居縮《いすく》んでばかり居ては軍気は日々に衰えるばかりなゆえに、北条方にさる者有りと聞えた北条氏房が広沢重
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