と》受取りかねるのである。
今一ツの伝説は、秀吉が会津守護の人を選ぶに就いて諸将に入札をさせた。ところが札を開けて見ると、細川越中守というのが最も多かった。すると秀吉は笑って、おれが天下を取る筈だわ、ここは蒲生忠三郎で無くてはならぬところだ、と云って氏郷を任命したというのだ。おれが天下を取る筈だわ、という意は人々の識力眼力より遥に自分が優《まさ》って居るという例の自慢である。此話に拠ると、会津に蒲生氏郷を置こうというのは最初から秀吉の肚裏《とり》に定まって居たことで、入札はただ諸将の眼力を秀吉が試みたということになるので、そこが些《ちと》訝《いぶ》かしい。往復ハガキで下らない質問の回答を種々の形の瓢箪《ひょうたん》先生がたに求める雑誌屋の先祖のようなものに、千成瓢箪殿下が成下るところが聊《いささ》か憫然《びんぜん》だ。いろいろの談の孰れが真実だか知らないが、要するに会津守護は当時の諸将の間の一問題で好談柄で有ったろうから、随《したが》って種々の臆測談や私製任命や議論やの話が転伝して残ったのかも知れないと思わざるを得ぬ。
何はあれ氏郷は会津守護を命ぜられた。ところが氏郷も一応は辞した
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