《こう》も有ったろうというだけを評釈的に述べて、夜涼の縁側に団扇《うちわ》を揮《ふる》って放談するという格で語ろう。
今があながち太平の世でも無い。世界大戦は済んだとは云え、何処か知らで大なり小なりの力瘤《ちからこぶ》を出したり青筋を立てたり、鉄砲を向けたり堡塁《ほるい》を造ったり、造艦所をがたつかせたりしている。それでも先々女房には化粧をさせたり、子供には可憐な衣服《なり》をさせたりして、親父殿も晩酌の一杯ぐらいは楽んでいられて、ドンドン、ジャンジャン、ソーレ敵軍が押寄せて来たぞ、酷《ひど》い目にあわぬ中に早く逃げろ、なぞということは無いが、永禄、元亀、天正の頃は、とても今の者が想像出来るような生優しい世では無かった。資本主義も社会主義も有りはしない、そんなことは昼寝の夢に彫刻をした刀痕《とうこん》を談ずるような埒《らち》も無いことで、何も彼も滅茶《めちゃ》滅茶だった。永禄の前は弘治、弘治の前は天文だが、天文よりもまだ前の前のことだ、京畿地方は権力者の争い騒ぐところで有ったから、早くより戦乱の巷《ちまた》となった。当時の武士、喧嘩《けんか》商買、人殺し業、城取り、国取り、小荷駄取り
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