合せて重瞳《ちょうどう》と隻眼と相射った時、ウム、面白そうな奴、話せそうな奴、と相愛したことは疑無い。だが、お互に愛しきったか何様だか、イヤお互に底の底までは愛しきれなかったに違無い。政宗は秀吉の男ぶりに感じて之を愛したには相違ないが、帰ってから人に語って、其の底の底までは愛しきらぬところを洩《もら》したことは、尭雄僧都話《ぎょうゆうそうずばなし》に見えて居るとされている。秀吉も政宗の押えに彼《か》の手強《てごわ》な蒲生氏郷を置いたところは、愛してばかりは居なかった証拠だ。藤さんと藤さんとお互に六分は愛し、四分は余白を留《とど》めて居たのである。戦乱の世の事だ、孰《いず》れにも無理は無いと為すべきだ。
 関白が政宗に佩刀《はいとう》を預けて山へ上って小田原攻の手配りを見せた談《はなし》などは今|姑《しばら》く措《お》く。さて政宗は米沢三十万石に削られて帰国した。七十万石であったという説もあるが、然様《そう》いうことは考証家の方へ預ける。秀吉が政宗の帰国を許したに就ては、秀吉の左右に、折角山を出て来た虎を復《ふたた》び深山に放つようなものである、と云った者があるということだ。そんなことを
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