小十郎は其場に於ては一言も発せずに居たという説もある。其説に拠ると小十郎は何等の言をも発せずに終ったので、政宗は其夜|窃《ひそ》かに小十郎の家を訪《と》うた。小十郎は主人の成りを悦《よろこ》び迎えた。政宗は小十郎の意見を質《ただ》すと、小十郎は、天下の兵はたとえば蠅《はえ》のようなもので、これを撲《う》って逐《お》うても、散じては復《また》聚《あつ》まってまいりまする、と丁度手にして居た団扇《うちわ》を揮《ふる》って蠅を撲つ状《まね》をした。そこで政宗も大《おおい》に感悟して天下を敵に取らぬことにしたというのである。いずれにしても原田宗時や片倉小十郎の言を用いたのである。
そこで政宗は小田原へ趨《おもむ》くべく出発した。時が既に機を失したから兵を率いてでは無く、云わば帰服を表示して不参の罪を謝するためという形である。藤五郎成実は留守の役、片倉小十郎、高野|壱岐《いき》、白石|駿河《するが》以下百騎余り、兵卒若干を従えて出た。上野を通ろうとしたが上野が北条領で新関が処々に設けられていたから、会津から米沢の方へ出て、越後路から信州甲州を大廻りして小田原へ着いた。北条攻は今其最中であるが、
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