いたことは何ヶ条もあった。其中先ず第一は「聞怯《ききお》じ」というので、敵が何万来るとか何十万寄せるとか、或は猛勇で聞えた何某《なにがし》が向って来るとかいうことを聞いて、其風聞に辟易《へきえき》して闘う心が無くなり、降参とか逃走とかに料簡《りょうけん》が傾くのを「聞怯じ」という。聞怯じする奴ぐらいケチな者は無い、如何に日頃利口なことを云っていても聞怯じなんぞする者は武士では無い。次に「見崩れ」というのは敵と対陣はしても、敵の潮の如く雲の如き大軍、又は勇猛|鷙悍《しかん》の威勢を望み見て、こいつは敵《かな》わないとヒョコスカして逃腰になり、度を失い騒ぎかえるのである。聞怯じよりはまだしもであるが、士分の真骨頭の無い事は同様である。「不覚」というのは又其次で、これは其働きの当を得ぬもので、不覚の好く無いことは勿論であるが、聞怯じ見崩れをする者よりは少しは恕《じょ》すべきものである。「不鍛煉《ふたんれん》」は「不覚」が、心掛の沸《たぎ》り足らないところから起るに比して又一段と罪の軽いもので、場数を踏まぬところから起る修行不足である。聞怯《ききお》じ[#ルビの「ききお」は底本では「ききおじ」
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