われたほどであるから、かかる場合にも坦夷《たんい》の表面の底に行届いた用意を存して居たことであろう。相客には浅野長政、前田徳善院、細川越中守、金森法印、有馬法印、佐竹|備後守《びんごのかみ》、其他五六人の大名達を招いた。場処は勿論主人利家の邸《やしき》で、高楼の大広間であった。座席の順位、人々の配り合せは、斯様《こう》いう時に於て非常に主人の心づかいの要せらるるものだ。無論氏郷を一方の首席に、政宗を一方の首席に、所謂《いわゆる》両立《りょうだて》というところの、双方に甲乙上下の付かぬように請じて坐せしめた事だろう。それから自然と相客の贔負《ひいき》贔負が有るから、右方贔負の人々をば右方へ揃え、左方贔負の人々を左方へ揃えて坐らせる仕方もあれば、これを左右|錯綜《さくそう》させて坐らせる坐らせ方も有る訳で、其時其人其事情に因って主人の用意は一様に定った事では有るまいが、利家が此日人々を何様《どう》組合せて坐らせたかは分らない。但し此日の相客の中で、佐竹の家は伊達の家と争い戦った事はあるが元来が親類合だから、伊達が蒲生に対する場合は無論備後守は伊達贔負の随一だ。徳善院は早くから政宗と懇親であ
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