殺《みなごろし》にすることの出来る能《よ》く能く十二分の見込が立た無くては敢てせぬことであると多寡を括《くく》って、其の政宗の見込を十二分には立たせなくするだけの備えを仕て居れば恐るるところは無い、と測量の意味であるところの当時の言葉の「下墨《さげすみ》」を仕切って居り、一揆征服木村救援の任を果そうとして居るところは、其の魂の張り切り沸《たぎ》り切って居るところ、実に懦夫《だふ》怯夫《きょうふ》をしてだに感じて而して奮い立たしむるに足るものがある。
 高清水まで敵城は無いと云う事であったが、それは真赤な嘘であった。中新田を出て僅の里数を行くと、そこに名生の城というが有って一揆の兵が籠《こも》って居り、蒲生軍に抵抗した。先隊の四将、蒲生源左衛門、蒲生忠右衛門、蒲生四郎兵衛、町野左近等、何|躊躇《ちゅうちょ》すべき、しおらしい田舎武士めが弓箭《ゆみや》だて、我等が手並を見せてくれん、ただ一[#(ト)]揉《もみ》ぞと揉立てた。池野作右衛門という者一番首を取る、面々励み勇み喊《おめ》き叫んで攻立った。作右衛門|素捷《すばや》く走り戻って本陣に入り、首を大将の見参《げんざん》に備え、ここに名生の
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