、一揆《いっき》方の諸城より斬《き》って出たならば、蒲生勢は千手観音《せんじゅかんのん》でも働ききれぬ場合に陥るのである。
 明日は愈々《いよいよ》一揆勢との初手合せである。高清水へは田舎道六十里あるというのであるが、早朝に出立して攻掛かろう。若《も》し途中の様子、敵の仕業《しわざ》に因って、高清水に着くのが日暮に及んだなら、明後日は是非攻め破る、という軍令で、十八日の中新田の夜は静かに更けた。無論政宗勢は氏郷勢の前へ立たせられる任務を負わせられていたのである。然るに其朝は前野の茶室で元気好く氏郷に会った政宗が、其夜の、しかも亥《い》の刻、即ち十二時頃になって氏郷陣へ使者をよこした。其の言には、政宗今日夕刻より俄《にわか》に虫気《むしけ》に罷《まか》り在り、何とも迷惑いたし居り候、明日の御働き相延ばされたく、御[#(ン)]先鋒《さき》を仕《つかまつり》候事成り難く候、とあるのであった。金剛の身には金剛の病、巌石も凍融《いてとけ》の春の風には潰《くず》るる習いだから、政宗だとて病気にはなろう。虫気というは当時の語で腹痛苦悩の事である。氏郷及び氏郷の諸将は之を聞いて、ソリャコソ政宗めが陰謀
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