だ。それが何様《どう》であろう、十八で家督相続してから、輔佐の良臣が有ったとは云え、もう立派に一個の大将軍になって居て、其年の内に、反復常無しであった大内備前を取って押えて、今後異心無く来り仕える筈に口約束をさせて終っている。それから、十九、二十、二十一、二十二、二十三、二十四と、今年天正の十八年まで六年の間に、大小三十余戦、蘆名、佐竹、相馬、岩城、二階堂、白川、畠山、大内、此等を向うに廻して逐《お》いつ返しつして、次第次第に斬勝《きりか》って、既に西は越後境、東は三春、北は出羽に跨《またが》り、南は白川を越して、下野《しもつけ》の那須、上野《こうつけ》の館林までも威※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《いえん》は達し、其城主等が心を寄せるほどに至って居る。特《こと》に去年蘆名義広との大合戦に、流石《さすが》の義広を斬靡《きりなび》けて常陸《ひたち》に逃げ出さしめ、多年の本懐を達して会津《あいづ》を乗取り、生れたところの米沢城から乗出して会津に腰を据え、これから愈々《いよいよ》南に向って馬を進め、先ず常陸の佐竹を血祭りにして、それから旗を天下に立てようという勢になっていた
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