るで様子が違っている。勝形は少しも無く、敗兆は明らかに見えていた。然し北条も大々名だから、上方勢と関東勢との戦はどんなものだろうと、上国の形勢に達せぬ奥羽の隅に居た者の思ったのも無理は無い。又政宗も朝命を笠に被《き》て秀吉が命令ずくに、自分とは別に恨も何も無い北条攻めに参会せよというのには面白い感情を持とう筈は無かった。そこで北条が十二分に上方勢と対抗し得るようならば、上方勢の手並の程も知れたものだし、何も慌てて降伏的態度に出る必要は無いし、且《かつ》北条が敵し得ぬにしても長く堪え得るようならば、火事は然程《さほど》に早く吾《わ》が廂《ひさし》へ来るものでは無い、と考えて、狡黠《こうかつ》には相違無いが、他人|交際《づきあい》の間柄ではあり、戦乱の世の常であるから、形勢観望、二[#(タ)]心抱蔵と出かけて、秀吉の方の催促にも畏《かしこ》まり候とは云わずに、ニヤクヤにあしらっていた。一ツは関東は関東の国自慢、奥羽は奥羽の国自慢があって、北条氏が源平の先蹤を思えば、奥羽は奥羽で前九年後三年の先蹤を思い、武家の神のような八幡太郎を敵にしても生やさしくは平らげられなかった事実に心強くされて居た廉《かど》もあろうし、又一ツは何と云っても鼻ッ張りの強い盛りの二十三四であるから、噂に聞いた猿面冠者に一も二も無く降伏の形を取るのを忌々《いまいま》しくも思ったろう。
然し政宗は氏康のような己を知らず彼を知らぬお坊ッちゃんでは無かった。少くも己を知り又彼を知ることに注意を有《も》って居た。秀吉との交渉は天正十二年頃から有ったらしい。秀吉と徳川氏との長湫《ながくて》一戦後の和が成立して、戦は勝ったが矢張り徳川氏は秀吉に致された形になって、秀吉の勢威隆々となったからであろうか、後藤基信をして政宗は秀吉に信書を通ぜしめている。如才無い家康は勿論それより前に使を政宗に遣わして修好して居る。家康は海道一の弓取として英名伝播して居り、且秀吉よりは其位置が政宗に近かったから、政宗もおよそ其様子合を合点して居たことだろう。天正十六年には秀吉の方から書信があり、又刀などを寄せて鷹を請うて居る。鷹は奥州の名物だが、もとより鷹は何でもない、是は秀吉の方から先手を打って、政宗を引付けようというにあったこと勿論である。秀吉の命に出たことであろう、前田利家からも通信は来ている。が、ここまでは何れにしても何でも無いことだったが、秀吉も次第に膨脹すれば政宗も次第に膨脹して、いよいよ接触すべき時が逼《せま》って来た。其年の九月には家康から使が来、又十二月には玄越というものを遣わして、関白の命を蒙《こうむ》って仙道の諸将との争を和睦《わぼく》させようと存じたが、承れば今度和議が成就した由、今後|復《また》合戦沙汰になりませぬよう有り度い、と云って来た。これは秀吉の方に政宗の国内の事情が知悉《ちしつ》されているということを語って居るものである。まだ其時は政宗が会津を取って居たのでは無いが、徳川氏からの使の旨で秀吉の意を猜《すい》すれば、秀吉は政宗が勝手な戦をして四方を蚕食しつつ其大を成すを悦《よろこ》ばざること分明であることが、政宗の※[#「匈/月」、1015−上−9]中《きょうちゅう》に映らぬことは無い。それでも政宗は遠慮せずに三千塚という首塚を立てる程の激しい戦をして蘆名義広を凹《へこ》ませ、とうとう会津を取って終《しま》ったのが、其翌年の五月のことだ。秀吉の意を破り、家康の言を耳に入れなかった訳である。そこで此の敵の蘆名義広が、落延びたところは同盟者の佐竹義宣方であるから、佐竹が、政宗という奴はひどい奴でござる、と一切の事情を成るべく自分方に有利で政宗に不利のように秀吉や家康に通報したのは自然の勢である。これは政宗も万々合点していることだから、其年の暮には上方の富田左近|将監《しょうげん》や施薬院玄以に書を与えて、何様《どん》なものだろうと探ると、案の定一白や玄以からは、会津の蘆名は予《か》ねてより通聘《つうへい》して居るのに、貴下が勝手に之を逐《お》い落して会津を取られたことは、殿下に於て甚しく機嫌を損じていらるるところだ、と云って遣《よこ》した。もう此時は秀吉は小田原の北条を屠《ほふ》って、所謂《いわゆる》「天下の見懲らし」にして、そして其勢で奥羽を刃《やいば》に血ぬらず整理して終おうという計画が立って居た時だから、勿論秀吉の命を受けての事だろう、前田利家や浅野長政からも、又秀吉の後たるべき三好秀次からも、明年小田原征伐の砌《みぎり》は兵を出して武臣の職責を尽すべきである、と云って来ている。家康から、早く帰順の意を表するようにするが御為だろう、と勧めて来ていることも勿論である。明けて天正十八年となった、正月、政宗は良覚院《りょうがくいん》という者を京都へ遣った。三月は斎藤
前へ
次へ
全39ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング