。仙道諸将を走らせ、蘆名を逐って会津を取ったところで、部下の諸将等が大《おおい》に城を築き塁を設けて、根を深くし蔕《へた》を固くしようという議を立てたところ、流石は後に太閤《たいこう》秀吉をして「くせ者」と評させたほどの政宗だ、ナニ、そんなケチなことを、と一笑に附してしまった。云わば少しばかり金が出来たからとて公債を買って置こうなどという、そんな蝨《しらみ》ッたかりの魂魄《たましい》とは魂魄が違う。秀吉、家康は勿論の事、政宗にせよ、氏郷にせよ、少し前の謙信にせよ、信玄にせよ、天下麻の如くに乱れて、馬烟《うまげむり》や鬨《とき》の声、金鼓《きんこ》の乱調子、焔硝《えんしょう》の香、鉄と火の世の中に生れて来た勝《すぐ》れた魂魄はナマヌルな魂魄では無い、皆いずれも火の玉だましいだ、炎々烈々として已《や》むに已まれぬ猛※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《もうえん》を噴き出し白光を迸発《ほうはつ》させているのだ。言うまでも無く吾《わ》が光を以て天下を被《おお》おう、天下をして吾が光を仰がせよう、と熱《いき》り立って居るのだ。政宗の意中は、いつまで奥羽の辺鄙《へんぴ》に欝々《うつうつ》として蟠居《ばんきょ》しようや、時を得、機に乗じて、奥州駒《おうしゅうごま》の蹄《ひづめ》の下に天下を蹂躙《じゅうりん》してくれよう、というのである。これが数え年で二十四の男児である。来年卒業証書を握ったらべそ子嬢に結婚を申込もうなんと思い寐《ね》の夢魂|七三《しちさん》にへばりつくのとは些《ちと》違って居た。
 諸老臣の深根|固蔕《こたい》の議をウフンと笑ったところは政宗も実に好い器量だ、立派な火の玉だましいだ。ところが此の火の玉より今少しく大きい火の玉が西の方より滾転《こんてん》殺到して来た。命に従わず朝《ちょう》を軽《かろ》んずるというので、節刀を賜わって関白が愈々東下して北条氏を攻めるというのである。北条氏以外には政宗が有って、迂闊《うかつ》に取片付けられる者では無かった。其他は碌々《ろくろく》の輩、関白殿下の重量が十分に圧倒するに足りて居たが、北条氏は兎に角八州に手が延びて居たので、ムザとは圧倒され無かった。強盗をしたのだか何をしたのだか知らないが、黄金を沢山持って武者修行、悪く云えば漂浪して来た伊勢新九郎は、金貸をして利息を取りながら親分肌を見せては段々と自分の処へ出入する士《さむらい》どもを手なずけて終《つい》に伊豆相模に根を下し、それから次第に膨脹《ぼうちょう》したのである。此の早雲という老夫《おやじ》も中々食えない奴で、三略の第一章をチョピリ聴聞すると、もうよい、などと云ったという大きなところを見せて居るかと思うと、主人が不取締だと下女が檐端《のきば》の茅《かや》を引抽《ひきぬ》いて焚付《たきつ》けにする、などと下女がヤリテンボウな事をする小さな事にまで気の届いている、凄《すさま》じい聡明《そうめい》な先生だった。が、金貸をしたというのは蓋《けだ》し虚事ではなかろう。地生《じおい》の者でも無し、大勢で来たのでも無し、主人に取立てられたと云うのでも無し、そんな事でも仕無ければ機微にも通じ難く、仕事の人足も得難かったろう。明治の人でも某老は同国人の借金の尻拭いを仕て遣り遣りして、終におのずからなる勢力を得て顕栄の地に達したという話だ。嘘《うそ》八百万両も貸付けたら小人島《こびとじま》の政治界なんぞには今でも頭の出せそうに思われる理屈がある。で、早雲は好かったが、其後氏綱、氏康、これも先ず好し、氏康の子の氏政に至っては世襲財産で鼻の下の穴を埋めて居る先生で、麦の炊き方を知らないで信玄にお坊ッちゃんだと笑われた。下女が乱暴に焚付《たきつけ》を作ることまで知った長氏に起って、生の麦を直《すぐ》に炊けるものだと思っていた氏政に至って、もう脉《みゃく》はあがった。麦の炊きようも知らない分際で、台所奉行から出世した関白と太刀打《たちうち》が出来るものでは無い。関白が度々|上洛《じょうらく》を勧めたのに、悲しいことだ、お坊さん殻威張《からいば》りで、弓矢でこいなぞと云ったから堪《たま》らない。待ってましたと計《ばか》りに関白の方では、此の大石を取れば碁は世話無しに勝になると、堂々たる大軍、徳川を海道より、真田《さなだ》を山道より先鋒《せんぽう》として、前田、上杉、いずれも戦にかけては恐ろしく強い者等に武蔵、上野、上総《かずさ》、下総《しもうさ》、安房《あわ》の諸国の北条領の城々六十余りを一月の間に揉潰《もみつぶ》させて、小田原へ取り詰めた。
 最初北条方の考では源平の戦に東軍の勝となっている先蹤《せんしょう》などを夢みて居たかも知れぬが、秀吉は平家とは違う。おまけに源平の時は東軍が踏出して戦っているのに、北条氏は碌《ろく》に踏出しても居ず、ま
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