黒田|孝高《よしたか》は城井谷|鎮房《しずふさ》を酒席で遣りつけて居る世の中であるに。
夜は明けた、十八日の朝となった。氏郷は約に従って政宗を訪《と》うた。氏郷は無論馬上で出かけたろうが、服装は何様であったか記されたものが無い。如何にこれから戦に赴く途中であるとしても、皆具《かいぐ》取鎧《とりよろ》うて草摺長《くさずりなが》にザックと着なした大鎧《おおよろい》で茶室へも通れまいし、又如何に茶に招かれたにしても直《ただち》に其場より修羅の衢《ちまた》に踏込もうというのに袴《はかま》肩衣《かたぎぬ》で、其肩衣の鯨も抜いたような形《なり》も変である。利久高足と云われた氏郷だから、必ずや武略では無い茶略を然るべく見せて、工合の宜い形で参会したろうが、一寸想像が出来ない。是は茶道鍛錬の人への問題に提供して置く。氏郷の家来達は勿論|甲冑《かっちゅう》で、鎗《やり》や薙刀《なぎなた》、弓、鉄砲、昨日に変ること無く犇々《ひしひし》と身を固めて主人に前駆後衛した事であろう。やがて前野に着く。政宗方は迎える。氏郷は数寄屋の路地へ潜門《くぐり》を入ると、伊達の家来はハタと扉を立てんとした。これを見ると氏郷に随《したが》って来た蒲生源左衛門、蒲生忠左衛門、蒲生四郎兵衛、町野左近将監、新参ではあるが名うての荒武者佐久間玄蕃が弟と聞えた佐久間久右衛門、同苗《どうみょう》舎弟《しゃてい》源六、綿利《わたり》八右衛門など一人当千の勇士の面々、火の中にもあれ水の中にもあれ、死出|三途《さんず》主従一緒と思詰めたる者共が堪《たま》り兼ねてツツと躍り出た。伊達の家来は此《こ》は狼籍《ろうぜき》に近き振舞と支え立てせんとした。制して制さるる男共であればこそ、右と左へ伊達の家来を押退け押飛ばして、楯《たて》に取る門の扉をもメリメリと押破った。氏郷の相伴つかまつって苦しい者ではござらぬ、蒲生源左衛門|罷《まか》り通る、蒲生忠右衛門罷り通る、町野左近将監罷り通る、罷り通る、罷り通る、と陣鐘《じんがね》のような声もあれば陣太鼓のような声も有る、陣法螺《じんぼら》吹立てるような声も有って、間《あわい》隔たったる味方の軍勢の耳にも響けかしに勢い猛《たけ》く挨拶して押通った。茶の道に押掛の客というも有るが、これが真個《ほんと》の押掛けで、もとより大鎧|罩手《こて》臑当《すねあて》の出で立ちの、射向けの袖《そで》に風を切って、長やかなる陣刀の鐺《こじり》あたり散らして、寄付《よりつき》の席に居流れたのは、鴻門《こうもん》の会に樊※[#「口+會」、第3水準1−15−25]《はんかい》が駈込んで、怒眼を円《つぶら》に張って項王を睨《にら》んだにも勝ったろう。外面《そとも》は又外面で、士卒各々|兜《かぶと》の緒を緊《し》め、鉄砲の火縄に火をささぬばかりにし、太刀《たち》を取りしぼって、座の中に心を通わせ、イザと云えばオッと応えようと振い立っていた。これでは仮令《たとい》政宗に何の企が有っても手は出せぬ形勢であった。
茶の湯に主と家来とは一緒に招く場合も有るべき訳で、主従といえば離れぬ中である。然し主人と臣下とを如何に茶なればとて同列にすることは其の主に対しては失礼であり、其の臣下に対しては※[#「にんべん+(先+先)/日」、1038−下−25]上《せんじょう》に堪うる能《あた》わざらしむるものであるから、織田|有楽《うらく》の工夫であったか何様であったか、客席に上段下段を設けて、膝突合わすほど狭い室ではあるが主を上段に家来を下段に坐せしむるようにした席も有ったと記《おぼ》えている。主従関係の確立して居た当時、もとより主従は一列にさるべきものでは無い。多分政宗方では物柔らかに其他意無きを示して、書院で饗応《きょうおう》でも仕たろうが、鎧武者《よろいむしゃ》を七人も八人も数寄屋に請ずることは出来もせぬことであり、主従の礼を無視するにも当るから、御免|蒙《こうむ》ったろう。扨《さて》政宗出坐して氏郷を請じ入れ、時勢であるから茶談軍談|取交《とりま》ぜて、寧《むし》ろ軍事談の方を多く会話したろうが、此時氏郷が、佐沼への道の程に一揆《いっき》の城は何程候、と前路の模様を問うたに対し、政宗は、佐沼へは是より田舎町(六町程|歟《か》)百四十里ばかりにて候、其間に一揆の籠《こも》りたる高清水と申すが佐沼より三十里|此方《こなた》に候、其の外には一つも候わず、と謀《はか》るところ有る為に偽りを云ったと蒲生方では記している。殊更に虚言を云ったのか、精《くわ》しく情報を得て居なかったのか分らぬ。次いで起る事情の展開に照らして考えるほかは無い。然《さ》候わば今日道通りの民家を焼払わしめ、明日は高清水を踏潰《ふみつぶ》し候わん、と氏郷は云ったが、目論見《もくろみ》の齟齬《そご》した政宗は無念さの余りに第二の一
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