されたが義継をも殺して了った位のイラヒドイところのある政宗だ。関白の威勢や、三好秀次や浅野長政や前田利家や徳川家康や、其他の有象無象《うぞうむぞう》等の信書や言語が何を云って来たからと云って、禽《とり》の羽音、虻《あぶ》の羽音だ。そんな事に動く根性骨では無い。聞怯じ人種、見崩れ人種ではないのである。自分が自分で合点するところが有ってから自分の碁の一石を下そうという政宗だ。確かに確かに関白と北条とを見積ってから何様《どう》とも決めようという料簡だ、向背の決着に遅々としたとて仕方は無いのだ。
そこで政宗が北条氏の様子をも上方勢の様子をも知り得る限り知ろうとして、眼も有り才も有る者共を沢山に派出したことは猜知《すいち》せられることだ。北条の方でも秀吉の方でも政宗を味方にしたいのであるから、便宜は何程でも有ったろうというものだ。で、関白は愈々《いよいよ》小田原攻にかかり、事態は日に逼《せま》って来た。ところへ政宗が出した視察者の一人の大峯金七は帰って来た。
金七の復命は政宗及び其老臣等によって注意を以て聴取られた。勿論小田原攻め視察の命を果して帰ったものは金七のみでは無かったであろうが、其他の者の姓名は伝わらない。金七が還《かえ》っての報告によると、猿面冠者の北条攻めの有様は尋常一様、武勇一点張りのものでは無い、其大軍といい、一般方針といい、それから又千軍万馬往来の諸雄将の勇威と云い、大剛の士、覚えの兵等の猛勇で功者な事と云い、北条方にも勇士猛卒十八万余を蓄わえて居るとは云え、到底関白を敵として勝味は無い。特《こと》に秀吉の軍略に先手先手と斬捲《きりまく》られて、小田原の孤城に退嬰《たいえい》するを余儀なくされて終《しま》って居る上は、籠中《ろうちゅう》の禽、釜中《ふちゅう》の魚となって居るので、遅かれ速かれどころでは無い、瞬く間に踏潰《ふみつぶ》されて終うか、然《さ》無《な》くとも城中|疑懼《ぎく》の心の堪え無くなった頃を潮合として、扱いを入れられて北条は開城をさせられるに至るであろう、ということであった。金七の言うところは明白で精確と認められた。ここに至って政宗も今更ながら、流石に秀吉というものの大きな人物であるということを感じない訳には行かなかった。沈黙は少時《しばし》一座を掩《おお》うたことであろう。金七を退かせてから政宗は老臣等を見渡した。小田原が遣付けらるれ
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