]、見崩れする奴ほど人間の屑《くず》は無いが、扨《さて》大抵の者は聞怯じもする、見崩れもするもので、独逸《ドイツ》のホラアフク博士が地球と彗星《すいせい》が衝突すると云ったと聞いては、眼の色を変えて仰天し、某国のオドカシック号という軍艦の大砲を見ては、腰が抜けそうになり、新学説、新器械だ、ウヘー、ハハアッと叩頭する類《たぐい》は、皆是れ聞怯じ見崩れの手合で、斯様《こう》いう手合が多かったり、又大将になっていたりして呉れては、戦ならば大敗、国なら衰亡する。平治の戦の大将藤原信頼は重盛に馳向われて逃出して終《しま》った。あの様な見崩れ人種が大将では、義朝や悪源太が何程働いたとて勝味は無い。鞭声《べんせい》粛々夜河を渡った彼《か》の猛烈な謙信勢が暁の霧の晴間から雷火の落掛るように哄《どっ》と斬入った時には、先ず大抵な者なら見ると直に崩れ立つところだが、流石《さすが》は信玄勢のウムと堪《こら》えたところは豪快|淋漓《りんり》で、斬立てられたには違無かろうが実に見上げたものだ。政宗の秀吉に於ける態度の明らかに爽《さわ》やかで無かったのは、潔癖の人には不快の感を催させるが、政宗だとて天下の兵を敵にすれば敵にすることの出来る力を有《も》って居たので、彼の南部の九戸《くのへ》政実ですら兎に角天下を敵にして戦った位であるから、まして政宗が然様《そう》手ッ取早く帰順と決しかねたのも何の無理があろう。梵天丸《ぼんてんまる》の幼立からして、聞怯じ、見崩れをするようなケチな男では無い。政宗の幼い時は人に対して物羞《ものはじ》をするような児で、野面《のづら》や大風《おおふう》な児では無かったために、これは柔弱で、好い大将になる人ではあるまいと思った者もあったというが、小児の時に内端《うちば》で人に臆したような風な者は柔弱臆病とは限らない、却《かえ》って早くから名誉心が潜み発達して居る為に然様いう風になるものが多いのである。片倉小十郎景綱というのは不幸にして奥州に生れたからこそ陪臣で終ったれ、京畿に生れたらば五十万石七十万石の大名には屹度《きっと》成って居たに疑無い立派な人物だが、其|烱眼《けいがん》は早くも梵天丸の其様子を衆人の批難するのを排して、イヤイヤ、末頼もしい和子《わこ》様である、と云ったという。二本松義継の為に遽《にわか》に父の輝宗が攫《さら》い去られた時、鉄砲を打掛けて其為に父も殺
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