く艮齋張《ごんさいば》りの文なぞにするのも餘り小兒《こども》臭いから、夏向はすべて抛下著《はうげぢやく》にかぎると、あつさり瀧の水に流してしまつて、煙草のしめる瀧壺の冷え、その煙草から李白の詩句では無いが紫煙を生じさせてゆつくり一休み。
五郎兵衞茶屋の主人、名は五郎作、六十餘の好人物的風采を具した男で、茶屋開始者五郎兵衞老人の子である。五郎兵衞老人は華嚴の瀧が立派な瀧であるに拘らず適當な觀賞場所が無くて、たゞ瀧見臺から觀望するに過ぎぬ事を他國の人々が飽かず思ふのを道理と感じた。そしてこれは瀧壺へ下りさせるに足る徑《みち》を開くに限ると考へた。本業は人を使つて山深く入つて曲物《まげもの》(日光名物であるに拘らず、今はこれを鬻《ひさ》いでゐることの少いのは遺憾だ)の材料たる木をとるのであつたが、その事を思ひ立つてから、獨力で測量し、獨力で開鑿しはじめた。人々はそんな無理な事が出來るものかと嗤笑《しせう》した。非難や嗤笑は、世の中の賢顏《かしこがほ》する詰らない男、ガスモク野郎、十把一《じつぱひと》からげ野郎の必ず所有してゐる玩具《おもちや》である。五郎兵衞老人は玩具におどかされるやうな男
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