に掛ける事は一通りや二通りで無い。死者もその間は死恥《しにはぢ》をさらさぬ譯にはゆかぬし、死者の遺族などは重々困難の立場に立つ譯だ。自殺は人の勝手のやうなものだが、華嚴飛び込くらゐ智慧の無い、後腐《あとぐさ》れの多い、下らない死方《しにかた》は無い。生を否定してゐるに近い佛教ですら自殺は禁ぜられてゐて、釋迦存生當時厭世觀の極點に立つて、獵師であつたものに自分を殺させた者、その他の自殺をはかつた者等が釋迦の彈呵《だんか》を被《かうむ》つたことは記録に明らかである。西藏《チベツト》や印度の蒙昧信者が身を棄てる如きも誰か今日之を是認しよう。まして宗教的からでも何でも無い、詰らないことから自殺しようとして華嚴を擇ぶ如きやからには、自分の權利も何も有るものでは無い。特《こと》に華嚴をえらぶ如き下らぬわがまゝを許せる理由が何處《どこ》に有らう。涅槃《ねはん》の瀧といふのが何處かに有つたら知らぬこと、華嚴は高華偉麗の世界である、白牡丹花に蟻の這ひ上るのはまだしも許し得るとしても、華嚴に汚穢《きたな》い馬鹿者の屍體を晒《さら》さうといふ場席は無いわけだ。華嚴行願には火の中へ飛び込んで清凉世界を得る談はあるが、それも淺間山へ飛び込めといふやうな譯ではない。華嚴へ飛び込みたいやうな氣のする人があつたら、六十三歳から瀧壺道を七年かゝつて造つた人にも慚《は》ぢて、せめて故郷へかへつて半年なりと鍬でも鋤でも振廻して働いて見て貰ひたい。「石塔に鉢卷」といふ壯んな諺が日本にはあるが、石塔になつた氣で鉢卷をして働いたなら、華嚴の瀧はその人の棺前の華では無くて、必ず酒の下物《さかな》たる好い眺めであらう。と先亡諸靈を哀《かなし》むにつけて、つく/″\と心中に思つた。

     六

 復《ふたゝ》び艇へ戻つて寺ヶ崎の端《はな》を廻り、上野島かけて大日崎の方を走ると、艇の位置が變るにつけて四圍の山々も動き、今までは見えなかつた山が姿をあらはしたり、今まで見えた山が隱れて行つたり、青山《せいざん》翠巒《すゐらん》應接にいとまがない。その中に足尾方面の山だけが、その鑛毒に蒸《む》されて焦枯《やけが》れた林木の見るも情ない骨立《こつりつ》した姿を見せてゐる。あれだけに育つた木々だから、何とかしたらば繁茂をつゞけられるのだらうが、二十世紀的、資本的、ドシ/\バタ/\的に無遠慮に採鑛精煉の事業をやられては、自然も破壞|潰裂《くわいれつ》させられるのを如何《いかん》ともし難い。地獄|變相《へんざう》の圖の樣な景色が出來ても是非に及ばないが、何人にも詩人的情緒は有るから、生氣に充《み》ちた青々《あを/\》とした山々の間に、鬼々《おに/\》しくなつた枯木の山を望んでは黯然としてこれを哀しまないものは無い。段々走つて白岩あたりに行くと、岸のさま湖のさまも物さびて、巨巖危ふく水に臨み、老樹|矮《ち》びて巖に倚《よ》るさまなど、世ばなれてうれしい。仰げば蓋《かさ》を張つたやうな樹の翠、俯《うつむ》けば碧玉を溶《と》いたやうな水の碧《あを》、吾が身も心も緑化するやうに思はれた。
 千手が濱から赤岩、丁度白岩に對してゐるが、岩こそ赭色なれ、こゝも宜い景色である。千手が濱で艇を出て、アングリング・エンド・カウンツリー・クラブの養魚場を見たが、舟から上つて平地の林の中へ入つて行く感じは眞に平和な仙郷へでも入るやうで、甚だ人に怡悦《いえつ》の情を味はしめた。緑蔭鮮かなるところ、小流れの清水を一區畫一區畫的に段々たゝへて、川マス、ニジマス、ブルトラウト、スチールヘッド等の各種鱒族の幼魚を養つてある。水清く魚|健《すこ》やかに、日光樹梢を漏りてかすかに金を篩《ふる》ふところ、梭影《さえい》縱横して魚|疾《と》く駛《はし》るさま、之を視て樂んで時の經つのを忘れしむるものがある。
 菖蒲ヶ濱にも養魚場がある。これは帝室關係のもので、野趣は少い代り堂々たる設備で、養魚池もひろく、鱒も二尺位になつてゐるのが數多く見えた。釣魚もおもしろいが養魚はなほ更《さら》佳趣の多いことで、二ヶ所の養魚場を見て、自分も一閑地を得たら魚を養ひたいナアと、羨み思ふを免《まぬか》れなかつた。莊惠觀魚《さうけいくわんぎよ》の談このかた、魚を觀るのは長閑《のどか》な好い情趣のものに定つてゐるが、やがて割愛して、今度は艇を捨て、自動車で龍頭《りゆうづ》の瀧へと向つた。
 龍頭の瀧もまた別趣を有してゐる好い瀧である。水は斜《なゝめ》に巨巖の上を幾段にも錯落離合してほとばしり下るので、白龍|競《きそ》ひ下るなどと古風の形容をして喜ぶ人もあるのだが、この瀧の佳い處はたゞ瀧の末のところに安坐して、手近に樂々と見ることと、巖石の磊※[#「石+可」、166−上−15]《らいか》たるをば眼前にする所にある。
 路は男體山の西へ廻り込んで、さした
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