ば登れぬところも有つて、山嘴《さんし》突端の逆行は餘り好い心持では無い。けれど日光自動車に事故はかつて無いといふ歴史を信じて談笑してゐる中に、般若方等の瀧徑も後に段々樹深く山深く入つて、溪添路は殊更に夕霧の深くなる中を大平へ着いた。
 霧は可なり濃くなつて何もはつきりとは見えず、夏の長き日も暮かゝつて來るので、わが乘つた車の轟きも或時は奇妙に反響《こだま》して、瀧の轟きが聞えるのでは無いかと疑つたりした。大平と聞いたので車を止めて下り立つた。瀧見臺へかゝつた。こゝは華嚴の瀧をその三分の二位の高さに當るところから望むところで、三十年も前には人々は大抵こゝから瀧を見るのみであつた。古い記憶は丁度今起つてゐる霧の立隔てゝゐるやうになつてゐるその中をたどつて、瀧を見るべき突端に至つた。客を接する人も居らず、岑閑《しんかん》とした霧の暮に、あらい金網を張つてゐる危ふげな突端にいたると、一谷|呀然《がぜん》として開けて、たゞ白煙蒼霧の埋めてゐるかなたに、恐ろしい瀧の音が不斷の響きを立てゝゐるばかりであつた。心當《こゝろあて》にかなたと思はるる方をぢつと見てゐると眞白な霧の中に薄々と、薄青い帛《きぬ》を下げたやうにそれとうなづかるゝものがかすかに透かして見えた。山氣と嵐氣と暮氣とは刻々に懷《ふところ》に迫つて、幽奧の境、蒼茫の態、一聲|鳥《とり》だに啼かず、千古水いたづらに落つる景、丁度人去つて霧卷くこの時に會つて、却つて原始的の状を味はふことは出來て幽趣無きにあらずでは有つたが、これだけでは仕方が無い、いづれあとは又明日と車に上つた。
 時計を見ると七時五分であつた。そこで東京上野からは正しく僅々《きん/\》五時間で八景の一たる景勝が連接されてゐると思ふと、莞爾《くわんじ》として滿足欣快の感のわき上《あが》るのを覺えた。五時間である。僅に五時間である。それで海拔四千尺の地に、直下七十何間(七十五丈ともいふ、説はまち/\だ)の大瀑布に對し、白樺や山毛欅《ぶな》や唐松《からまつ》の梢吹く凉しい風に松蘿《さるをがせ》の搖ぐ下に立つことが出來るかと思ふと、昭和の御世《みよ》が齎らしてゐる文明が今のわれ等を祝福してゐてくれると誰も感ぜずには居られまい。
 車は忽ち電燈の光の華やぐ旅館の門並の前を過ぎて、朱の鳥居の見ゆるところに來た。中禪寺へ着いたなと思ふ間もなく、華嚴の瀧の上流である湖尻
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