かにして而も艶なるものなれ。古りたる園の、主変りて顧みられずなり行き、籬は破れ土は瘠せ、草木も人の手の恵《めぐみ》に遠ざかりたるより色失せ勢|萎《な》へて見る眼悲しくなりたるが中に、此花の喬《たか》き常盤樹の梢に這ひ上りて、おのが心のまゝに紫の浪織りかけて静けく咲き出でたるなど、特《こと》に花の色も身に染《し》みてあはれ深きものにぞ覚ゆる。紫の色に咲く桐の花、樗の花、いづれか床しき花ならぬは無けれど、此花は花の姿さへ其色に協ひたりとおぼしく、ひとしほ人の心を動かす。これの秋咲くものならぬこそ幸なれ。風冷えて鐘の音も清み渡る江村の秋の夕など、雲漏る薄き日ざしに此花の咲くものならんには、我必ずや其蔭に倒れ伏して死《しに》もすべし。虻の声は天地の活気を語り、風の温く軟《やはらか》きが袂軽き衣を吹き皺めて、人々の魂魄《たましひ》を快き睡りの郷に誘はんとする時にだも、此花を見れば我が心は天にもつかず地にもつかぬ空に漂ひて、物を思ふにも無く思はぬにも無き境に遊ぶなり。

      桐花

 朝風すゞしく地は露に湿《うるほ》ひたる時、桐の花の草の上などに落ちたるを見たる、何となく興あり。梢にあるほ
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