に花の六つ七つ五つ咲くさまは玉簪花《ぎぼし》の如し。谷中に住める時、庭の隅にこれの咲きたるを見出して、雨そゝぎに移し植ゑ置きしに、いつとも無く皆亡せたりき。寺島の住居の庭のは日あたりよきところにあればにや今に栄ゆ。湿り気を嫌ふ性とおぼゆ。此花のさまに依りて少しく想ひを加へ、鬼の面を画き出さんにはいとあやしかるべしと、去年もおもひき、今年もおもひつ。

      牽牛花

 朝寐は福の神のお嫌ひなり。若き時|活計《みすぎ》疎く、西南の不夜城に居びたりのいきつき酒して耳に近き逐ひ出しの鐘を恨み、明けて白む雲をさへうるさやと遣戸《やりど》さゝせ、窓塞がせ、蝋燭を列べさせて、世上の昼を夜にして遊ぶも、金銀につかへぬ身のすることならば、人のかまふべくも無し。されども尽くる時には尽き易き金銀にて、光りを磨きし餝屋《かざりや》とて日本の長者の名ありしものも、今は百貫目に足らぬ身代となり、是にては中々今までの格式を追ひ難しと急《にはか》に分別極めて家財を親類に預け、有り金を持つて代々の住所を立退き、大阪の福島に坊主行義の世帯して北に見渡す野山の気色《けしき》に自ら足れりとしける。さりとは物のいらぬなぐさみなり。百貫目の利銀には今すこしは思ふまゝなるべきところを、いかな/\然《さ》はせずして心を心にいましめ、なまなかの遊びを思はず、只花鳥に物好をあらためて、宗因の孫西山昌札の門弟となり、連歌を仕習ふ。むかしは島原にて聞くを悦びし時鳥も今は聞かぬ初音に五文字をたくむなど、人のするほどのことは仕尽してのなれの果にもまた楽みあり。折から葭籬《よしがき》のもとに、いつのこぼれ種子《だね》やら朝顔の二葉《ふたば》土を離れて、我がやどすてぬといへる発句の趣向をあらはす。日暮々々に水そゝげば此草とりつく便《たより》あるに任せて蔓をのばし、はや六月の初め、ひと花咲きそめて白き※[#「※」は「均のつくり」、読みは「にほひ」、第3水準1−14−75、145−3]に露も猶をかしう七夕の名を捨てぬしるしを見《あらは》す。これに心を寄せていつしか我が癖の朝寐を忘れ、紐とく花の姿見んと蚊帳を離れて一ぷくの煙草吸ふに、心嬉しさいふばかりなし。手づから井の水を汲みあげ、寐顔の※[#「※」は「均のつくり」、読みは「にほ」、第3水準1−14−75、145−5]ひを洗ひ捨てゝ四方山《よもやま》を見るに、さりとは口惜しや
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