一銭つかはで是ほど面白く風情ありしことを知らず、もたれたる遊びに金銭を費して無益の年月を送りけるよと、今ぞ心のほこりを掃ひける。それより起き慣れて、朝々座敷を掃ひ庭の塵を取り、身をまめに動かせば、朝飯も自らすゝみ、むかしの痞《つかへ》を忘れて無病の楽みを知りぬ。これ皆朝顔のおかげといたく愛して翌年の夏に至りけるに、去年の花より多くの種残りて、さりとは数多《あまた》生ひ出で、蔓の頃はさぞかしと思ひやらる。男つく/″\おもふに、唯ひともとの草なりしも其種のたゞ一ト年にてかく多くひろがること、まことに驚くべし、初はわづかの雫、末に至りては大河をなし海をなすといへる譬喩《たとへ》も目前なり、此道理にて我今少しの元手なれども一稼ぎ働かば以前の大身代に立戻らんこと遠きにあらじ、さても用無き隠者がゝりかなと悟り、即日《そのひ》に金子預け置きたる方へことわりを云ひこみ、密々に商ひを見立つるに、とかく大廻しの船の利あるに及ぶものなし、勿論《もとより》海上のおそれあることながら、綱碇を丈夫にして檜木造りにする上は難風を乗り逃るゝたよりあるべき事古き沖船頭の言ふところ虚妄《いつはり》ならざるべしと考へ定め、九百石と八百石との船を新に造り、律義なる水主《かこ》船頭を載せて羽州能代に下しけるに、思ふまゝなる仕合せを得、二年目に万事さし引《ひい》て六貫目の利を見たり。是より商ひの拍子にのつて米木綿の買ひ込み、塩浜の思ひ入、ひとつもはづさず、さいて取る鳥飼の里より養子して、猶それに指図して、いよ/\分限者となり、以前にまさる目出度《めでたき》家のしるし、叶の字かくれ無く栄え時めきぬ。これは團水が、朝顔の花につけ、面白く想を構へて作り出せるものがたりなり。花もめでたし、ものがたりもめでたし。花の風情はまことにこの物語に云へるが如し、人のさとりはこの物語にあらはしたるが如くならぬが多きぞ口惜しき。
木芙蓉
木芙蓉は葉も眼やすく花ことに美し。秋の花にて菊を除きては美しさこれに及ぶべきもの無し。睛※[#「※」は「雨かんむり+文」、第3水準1−93−69、146−10]《せいぶん》といふ女の死して此花を司《つかさど》る神となりしときゝ、恋しさのあまり、男、此花の美しく咲きたる前に黄昏の露深きをも厭はず額づきて、羣花の蕊《ずゐ》、氷鮫の※[#「※」は「穀のへんにある禾が系」、読みは「こく」
前へ
次へ
全15ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング