るには至りしなり。景隆は長身にして眉目疎秀《びもくそしゅう》、雍容都雅《ようようとが》、顧盻偉然《こべんいぜん》、卒爾《そつじ》に之を望めば大人物の如くなりしかば、屡《しばしば》出《い》でゝ軍を湖広《ここう》陝西《せんせい》河南《かなん》に練り、左軍都督府事《さぐんととくふじ》となりたるほかには、為《な》すところも無く、其《その》功としては周王《しゅうおう》を執《とら》えしのみに過ぎざれど、帝をはじめ大臣等これを大器としたりならん、然れども虎皮《こひ》にして羊質《ようしつ》、所謂《いわゆる》治世の好将軍にして、戦場の真豪傑にあらず、血を※[#「足へん+諜のつくり」、UCS−8E40、305−1]《ふ》み剣を揮《ふる》いて進み、創《きず》を裹《つつ》み歯を切《くいしば》って闘《たたか》うが如き経験は、未《いま》だ曾《かつ》て積まざりしなれば、燕王の笑って評せしもの、実に其《その》真を得たりしなり。
 李景隆は大兵を率いて燕王を伐《う》たんと北上す。帝は猶《なお》北方憂うるに足らずとして意《こころ》を文治に専らにし、儒臣|方孝孺《ほうこうじゅ》等《ら》と周官の法度《ほうど》を討論して日を送
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