く、而《しか》も甲を※[#「てへん+鐶のつくり」、第3水準1−85−3]《ぬ》き馬に騎《の》り槊《ほこ》を横たえて陣に臨むや、※[#「足へん+卓」、第4水準2−89−35]※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《たくれい》風発、大敵に遇《あ》いて益《ますます》壮《さかん》に、年十九より軍に従いて数々《しばしば》偉功を立て、創業の元勲として太祖の愛重《あいちょう》[#「愛重」は底本では「受重」]するところとなれるのみならず、西安《せいあん》に水道を設けては人を利し、応天《おうてん》に田租を減じては民を恵《めぐ》み、誅戮《ちゅうりく》を少《すくな》くすることを勧め、宦官《かんがん》を盛《さか》[#ルビの「さか」は底本では「さかん」]んにすることを諫《いさ》め、洪武十五年、太祖日本|懐良王《かねながおう》の書に激して之を討たんとせるを止《とど》め、(懐良王、明史《みんし》に良懐に作るは蓋《けだ》し誤《あやまり》也。懐良王は、後醍醐《ごだいご》帝の皇子、延元《えんげん》三年、征西大将軍に任じ、筑紫《つくし》を鎮撫《ちんぶ》す。菊池武光《きくちたけみつ》等《ら》之《これ》に従い、興国《こうこ
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