も》に兵を率いて永平《えいへい》を囲み、東より北平を動かさんとしたりという。二子の護国の意の誠なるも知るべし。それ勝敗は兵家の常なり。蘇東坡《そとうば》が所謂《いわゆる》善《よ》く奕《えき》する者も日に勝って日に敗《やぶ》るゝものなり。然るに一敗の故を以て、老将を退け、驕児《きょうじ》を挙ぐ。燕王手を拍《う》って笑って、李九江《りきゅうこう》は膏梁《こうりょう》の豎子《じゅし》のみ、未だ嘗《かつ》て兵に習い陣を見ず、輙《すなわ》ち予《あた》うるに五十万の衆を以てす、是《これ》自ら之《これ》を坑《あな》にする也《なり》、と云えるもの、酷語といえども当らずんばあらず。炳文を召して回《かえ》らしめたる、まことに歎《たん》ずべし。
景隆|小字《しょうじ》は九江《きゅうこう》、勲業あるにあらずして、大将軍となれる者は何ぞや。黄子澄、斉泰の薦《すす》むるに因《よ》るも、又別に所以《ゆえ》有るなり。景隆は李文忠《りぶんちゅう》の子にして、文忠は太祖の姉の子にして且つ太祖の子となりしものなり。之に加うるに文忠は器量沈厚、学を好み経《けい》を治め、其《そ》の家居するや恂々《じゅんじゅん》として儒者の如
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