到《いた》り援《すく》わんとして月漾橋《げつようきょう》の伏兵に執《とら》えられ、部将|張保《ちょうほ》敵に降りて其の利用するところとなり、遂に※[#「濾」の「思」に代えて「乎」、第4水準2−79−10]沱河《こだか》の北岸に於《おい》て、燕王及び張玉、朱能、譚淵《たんえん》、馬雲《ばうん》等《ら》の為に大《おおい》に敗れて、李堅《りけん》、※[#「宀/必/冉」、UCS−5BD7、300−11]忠《ねいちゅう》、顧成《こせい》、劉燧《りゅうすい》を失うに至れり。ただ炳文の陣に熟せる、大敗して而《しか》も潰《つい》えず、真定城《しんていじょう》に入りて門を闔《と》じて堅く守る。燕兵|勝《かち》に乗じて城を囲む三日、下す能《あた》わず。燕王も炳文が老将にして破り易《やす》からざるを知り、囲《い》を解いて還《かえ》る。
炳文の一敗は猶《なお》復すべし、帝炳文の敗を聞いて怒りて用いず、黄子澄《こうしちょう》の言によりて、李景隆《りけいりゅう》を大将軍とし、斧鉞《ふえつ》を賜《たま》わって炳文に代らしめたもうに至って、大事ほとんど去りぬ。景隆は※[#「糸+丸」、第3水準1−89−90]袴《がん
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