。賽児の乱をなせるは明《みん》の永楽《えいらく》十八年二月にして、燕《えん》王の簒奪《さんだつ》、建文《けんぶん》の遜位《そんい》と相関するあるにあらず、建文|猶《なお》死せずと雖《いえども》、簒奪の事成って既に十八春秋を経《へ》たり。賽児何ぞ実に建文の為《ため》に兵を挙げんや。たゞ一婦人の身を以て兵を起し城を屠《ほふ》り、安遠侯《あんえんこう》柳升《りゅうしょう》をして征戦に労し、都指揮《としき》衛青《えいせい》をして撃攘《げきじょう》に力《つと》めしめ、都指揮|劉忠《りゅうちゅう》をして戦歿《せんぼつ》せしめ、山東の地をして一時|騒擾《そうじょう》せしむるに至りたるもの、真に是《こ》れ稗史《はいし》の好題目たり。之《これ》に加うるに賽児が洞見《どうけん》預察の明《めい》を有し、幻怪|詭秘《きひ》の術を能《よ》くし、天書宝剣を得て、恵民《けいみん》布教の事を為《な》せるも、亦《また》真に是れ稗史の絶好資料たらずんばあらず。賽児の実蹟《じっせき》既に是《かく》の如《ごと》し。此《これ》を仮《か》り来《きた》りて以《もっ》て建文の位を遜《ゆず》れるに涙を堕《おと》し、燕棣《えんてい》の国
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