しが、帝曰く、至親《ししん》問う勿《なか》れと。戸部侍郎《こぶじろう》卓敬《たくけい》、先に書を上《たてまつ》って藩を抑え禍《わざわい》を防がんことを言う。復《また》密奏して曰く、燕王は智慮人に過ぐ、而して其の拠る所の北平《ほくへい》は、形勝の地にして、士馬《しば》精強に、金《きん》元《げん》の由って興るところなり、今|宜《よろ》しく封《ほう》を南昌《なんしょう》に徒《うつ》したもうべし。然《しか》らば則《すなわ》ち万一の変あるも控制《こうせい》し易《やす》しと、帝|敬《けい》に対《こた》えたまわく、燕王は骨肉至親なり、何ぞ此《これ》に及ぶことあらんやと。敬曰く、隋《ずい》文揚広《ぶんようこう》は父子にあらずやと。敬の言実に然り。揚広は子を以てだに父を弑《しい》す。燕王の傲慢《ごうまん》なる、何をか為《な》さゞらん。敬の言、敦厚《とんこう》を欠き、帝の意、醇正《じゅんせい》に近しと雖《いえど》も、世相の険悪にして、人情の陰毒なる、悲《かなし》む可《べ》きかな、敬の言|却《かえ》って実に切なり。然れども帝黙然たること良《やや》久しくして曰く、卿《けい》休せよと。三月に至って燕王国に還《か
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