ず。たま/\北辺に寇警《こうけい》ありしを機とし、防辺を名となし、燕藩の護衛の兵を調して塞《さい》を出《い》でしめ、其の羽翼《うよく》を去りて、其の咽喉《いんこう》を扼《やく》せんとし、乃《すなわ》ち工部侍郎《こうぶじろう》張※[#「日/丙」、第3水準1−85−16]《ちょうへい》をもて北平左布政使《ほくへいさふせいし》となし、謝貴《しゃき》を以《もっ》て都指揮使《としきし》となし、燕王の動静を察せしめ、巍国公《ぎこくこう》徐輝祖《じょきそ》、曹国公《そうこくそう》李景隆《りけいりゅう》をして、謀《はかりごと》を協《あわ》せて燕を図《はか》らしむ。
 建文元年正月、燕王|長史《ちょうし》葛誠《かつせい》をして入って事を奏せしむ。誠《せい》、帝の為《ため》に具《つぶさ》に燕邸《えんてい》の実を告ぐ。こゝに於《おい》て誠を遣《や》りて燕に還《かえ》らしめ、内応を為《な》さしむ。燕王|覚《さと》って之に備うるあり。二月に至り、燕王|入覲《にゅうきん》す。皇道《こうどう》を行きて入り、陛に登りて拝せざる等、不敬の事ありしかば、監察御史《かんさつぎょし》曾鳳韶《そうほうしょう》これを劾《がい》せ
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