、歳時《さいじ》伏臘《ふくろう》、使問《しもん》絶えず、賢者は詔を下して褒賞《ほうしょう》し、不法者は初犯は之を宥《ゆる》し、再犯は之を赦《ゆる》し、三|犯《ぱん》改めざれば、則ち太廟《たいびょう》に告げて、地を削り、之を廃処せんに、豈《あに》服順せざる者あらんやと。帝|之《これ》を然《さ》なりとは聞召《きこしめ》したりけれど、勢《いきおい》既に定まりて、削奪の議を取る者のみ充満《みちみ》ちたりければ、高巍《こうぎ》の説も用いられて已《や》みぬ。
建文元年二月、諸王に詔《みことの》りして、文武の吏士《りし》を節制し、官制を更定《こうてい》するを得ざらしむ。此《こ》も諸藩を抑うるの一なりけり。夏四月|西平侯《せいへいこう》沐晟《もくせい》、岷王《びんおう》梗《こう》の不法の事を奏す。よって其の護衛を削り、其の指揮|宗麟《そうりん》を誅《ちゅう》し、王を廃して庶人となす。又|湘王《しょうおう》柏《はく》偽《いつわ》りて鈔《しょう》を造り、及び擅《ほしいまま》に人を殺すを以て、勅《ちょく》を降《くだ》して之を責め、兵を遣《や》って執《とら》えしむ。湘王もと膂力《りょりょく》ありて気を負う。
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